イベント開催と健康と制作についてホールで考えたこと
2月27日(木)にFOVEの演奏会をやりました。前日にイベント自粛要請の号令が出てどうなることかと思い悩んだけれど、いまは結果的に演奏会を催行してよかったという感触をほんのりと持っています。ということでそのほんのり具合を書き残しておこうという感じでこの記事を書き出してます。
1. 開催まで
国内でコロナウイルスの感染が拡大するなか、2月24日(月)に「この1-2週間がヤマ」と厚労省が見解を発表。それを受けて26日(水)の午後に突然、「多数の方が集まるような全国的なスポーツ、文化イベント等については、今後2週間は、中止、延期又は規模縮小等の対応を要請」するという政府の発表が知らされることになりました。
速報の時点で近江楽堂のスケジュールをみると、翌週に予定されていた主催公演のランチタイムコンサートはすでに中止のお知らせが出ていました。念のため問い合わせてみると、コンサートに参加する学校の影響や要請を踏まえての判断だったとのこと。つまりその時点では、まだ主催公演も個別公演の判断にとどまっていたので、わたしたちもわたしたちで、明日やるのかやらないのか考えなくてはいけない、という状態になったのでした。
個人的には、はじめは中止の方向で考えていました。もちろんやりたいのだけど、これで催行したときにどのくらいクレームがくるかわからない……。少ない人数で裏方を回していたこともあり、問い合わせが殺到したらパンクするかもしれないという懸念が念頭にありました。来場客の善意を信頼したいけれど、SNS中心に告知をしていただけあって、どこに飛び火してクレームが起きるかも予想できず。ただ一方で中止したとして、自分たちで開いた企画なので、中止で発生する赤字(わりとある)は避けられない。というところで難しい判断を迫られます。
とはいえ、あくまでそれは運営側の一人の見方なので、メンバーの意見から判断を導き出すべく、仕事の合間を縫いながら怒涛のLINEのやりとりを夜まで続けました。今日公演予定のメンバーに状況をたずねたり、率直な意見をもらったり。「運営側の予防対策をしっかりやって、来場客にも対策をアナウンスしてやろう」という大筋がまとまってきたのが15時過ぎ。その頃になって、続々とわたしたちと同日の公演が中止のお知らせを出し始めました。風向きが変わってこんな状況下で催行するのは本当に正しいことなのか、、、?と再び不安がもたげるなか、さらにメンバーと細かいやりとりを続けて、最終的には「予定していたプレ・コンサートをやめて開場時間を短くし、来場客の滞在時間を極力短くする」ことで決行する、という方向でいくことにしました。さらに返金対応にも応じて、チケットを買ってくださった方それぞれの判断を尊重することも決めました。
フタを開けてみれば空席も少なく、ほぼ全てのお客様がそれぞれの体調に十分気を遣い、こちらの公演体制にも理解を示してくださったのでした。返金の問い合わせをなさった方からも励ましのメッセージを多くいただき、心が奮い立つ場面が何度とありました。
2. 健康と判断
返金対応をアナウンスしながらの催行決断は、当然ですがある程度決意が必要でした。まず、どんなにこちらが対策をとったとしても、感染者が出ないと言い切ることは不可能です。潜伏期間やウイルスの諸々の特徴までまるっと見込んで対策をとることができたら、あらゆるイベントはもっと良い催行判断ができるはず。そして誤解を恐れずに言えば、今回の場合、そのような性質を持つウイルスの感染に対して、1から10まで責任を取るのは非常に難しいものがあります。だからこそできる範囲の責任をとるべく来場客向けの対策を講じて、そのアナウンスに務め、来場客一人ひとりの判断を尊重する、という案に落ち着いたのでした。
周りの演奏家たちが軒並み公演キャンセルの連絡を受けてしまっているなかで、今回のような催行判断を取ることができたのは2つ理由に尽きると思っています。なによりもまずFOVEがイベント全体を仕切っていたのは大きい。責任をとるための体制が、それほど複雑でなかったからできた判断であることは間違いないでしょう。それに50-60人というキャパシティも、催行を後押ししてくれたところがあります。これ以上規模が大きかったら、おそらく同じようにはいかなかったでしょう(それだけに、公演後に東京事変の決行アナウンスをみたときは、運営の立場として大いに感心したのでした)。
この日の公演は、その場限りの公衆衛生という考え方を立ち上げているかのようでした。ホールにあったのは一人ひとりの健康への信頼と、それぞれがそれぞれの判断を信頼するという状況でした。もっといえば返金を申し出たお客様にもその感覚は共有されていたと言えるかもしれません。わたしたちが「濃厚接触」すると何が起きるかを理解し、とりうる対策を一人ひとりがしっかりととる。客席に座りながらとる対策もあれば、体調や旅程を考慮してコンサートに行くことを取りやめる判断もある。おそらく今まで経験した公演のなかで、ある意味一番、来場客一人ひとりを意識したような気もします。誰もが選択肢をもって考えているということが、会場に居るときもメールを返すときも、いつも以上にひしひしと感じられました。
それと、メンバーたちは「音楽の力で乗り越える」ということは言いませんでした。それが決定的に大事だったと感じています。べつに音楽を聴いてなにか免疫がつくわけでもないし。逆にFOVEもコロナウイルスの猛威に対して演目で応答するようなことは考えませんでした。おそらくメンバーも職業音楽家として云々ということは、それほど勘定に入れていなかったのではと思います。FOVEとしては公演を開く/開かない、チケットを持つ/持たない以上に何かしらのメッセージを持たせることはしませんでした。意味合いはいくらでもつけられたはずだし、実際にさまざまな思いが公演催行のなかに交錯していました。だからといって、むやみに使命感を膨らませることはせず、またユーモアで突破するでもなく、ほぼ事務的に開く/開かないの判断に徹した。結果的にこの公演が、メンバーや来場客一人ひとりにとって鏡のように作用して、それぞれの生活や健康に対して思いを巡らす機会になったのではないかと思います。これは公演の力というのか、ちなみに当日は時々「芸術からひとつの新しい生活実践を組み立てる」というビュルガー『アヴァンギャルドの理論』の一節を思い出したりしましたが、それは飛躍しすぎかもしれません。FOVEは唯美主義でやっているわけではないので。
3. 運営と制作
わたしは今回の公演を運営の立場で過ごしました。特に楽譜を書いたり演奏に加わったりしたわけではないのですが、それでも今回の公演を終えてなんだか格別の思いがあります。それはたぶん、徹底して運営をやることを通して、公演を作ることができたからだと思っています。
FOVEは見ての通り、型をドシドシ踏み破って進んでいくタイプのアンサンブルです。そのほうが面白いから。特に今回のZINGARO!!!の場合のように、メンバーはほとんどハンター然としていて、次に何が起こるか待ち構え、何かを起こしてやろうか企む。そういう遊び合い=火花の散らし合いが舞台のあちこちで起きちゃうのが、FOVEのFOVEたるところなのかなあと、勝手に思っています。
一方で割と手作りなところも多くあります。フライヤー作成やチケットのやり取り、映像作成もほぼすべてアンサンブルが担当します。「キュレーションが大事」とは主催の坂東さんの言ですが、どのようにイベントプログラムを構成するかは、実際のところかなりメンバー間のコミュニケーションに比重を置いて組み上げています。
だから公演ひとつ、アルバムひとつつくることがアンサンブルの発する重要なメッセージであり、それは収録ひとつ取り組むときも基本的には変わっていません。少なくとも自分はそのように思います。
プロジェクトをインパクトをもって提示するために、削ぎ落とすものはきちんと削ぎ落とす、という判断をとれるのは簡単なことではありません。プロジェクトの内容に参与するメンバーたちが確信をもって取り組まなければ不可能だし、プロジェクトの面白みに乗じて様々な提案が飛び込んできても、それが「プロジェクトにとって良いものか」とストレートに問い続けなければいけない。
そして実は、コロナウイルスにからむ今回の状況を乗り切ったのも、やはり同じようにZINGARO!!!の公演にとってどうなのか、と考え続けたことが決定的なのだと、今にして思います。運営の立場からすると、外的要因のせいで運営がむりに制作的なふるまいをしなかったこと、が決定的なのだと。運営すること=プロジェクトを遂行するためにでてくる様々な雑事を、ウワーっとやりきるために、運営は運営をやり、運営として来場客とやりとりをする。ということをしたのでした。まず基本的な分業があり、それぞれがそれぞれの役割の原理を(あくまで自分のなかの線引きをもって)酷使すること。おそらく今回の公演を乗り切った要因は、その辺にあるのかなという気がしています。
まとまったようなそうでないような。しかし何よりも早く事態が収束することを願うばかりです。