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『国宝 東寺-空海と仏像曼荼羅』展 メモ

空海は恵果から密教を学んだのだが、恵果の密教は、「胎蔵界曼荼羅」と「金剛界曼荼羅」、それぞれ別の場所でつくられた曼荼羅を融合させた『両界曼荼羅』であった。

この『両界曼荼羅』という世界観が重要なのだが、それを伝えるためにまず、胎蔵界曼荼羅と金剛界曼荼羅、それぞれの解説をしたい。

胎蔵界曼荼羅とは、大日如来が宇宙の中心であることを示している。また、森羅万象全てに大日如来の慈悲が流れていることを示している。
如来から菩薩へ。如来から明王(ヒンドゥー教の影響を受けた密教特有のもの)へ。さらには天(四天王、インドの最高神梵天と、帝釈天)、そして人々へ。胎蔵界曼荼羅は、大日如来の慈悲によって私達、森羅万象全てが作られたこと、全てのものが『調和』していることを示している。

金剛界曼荼羅は様々な解釈があり分かりずらいが、噛み砕くと、私達人間が智慧を持って仏に近づいていく、その修行のプロセスを表していると言える。誰でも行ける道ではないが不可能ではない、この仏へと向かっていく『進歩』を表していると言えよう。

この『調和』と『進歩』、一見すると異なるベクトルを持つものを融合させた『両界曼荼羅』は、「調和だけで無個性化してはならない、それぞれが本来の自己に目覚め、本来の力を発揮していくべきである」という発展の教え、反共産主義的な世界観を表すと共に、「全ては仏によってつくられた存在。謙虚さと感謝を忘れるな」というメッセージも表しているように思える。どちらかだけではならない。2つ合わさって完成される世界観なのだ。(即身成仏の危険性についてここでは省略)

そして、空海の凄いところは、この両界曼荼羅を計21体の仏像で構成される『立体曼荼羅』として、東寺の講堂に作りあげたことだ。どんな人にも分かりやすく仏の存在を伝えたいという空海の情熱を感じる。東寺の建設を任されたとき、最初に取り掛かったのが講堂であり、講堂の空間には空海が伝えたかったエッセンスが詰まっている。この講堂の仏像21体の内15体を今回特別に見ることができた。

東寺の僧侶によると、東寺講堂の仏像配置は成功する組織の人員配置のモデルなのだとか。東寺に隣接している洛南高校は、「菩薩を育てる高校をつくろう!」という熱意のもと、この講堂の仏像配置をモデルにして先生を集めたのだ。


<個人的な感想>
空海が本当に伝えたかった、霊的人生観や霊的救済力、心の法則や念の性質、仏の法について、現代にどれだけ伝わっているのか分からない。単に見せ物として仏像を展示してしまってるだけのようにも思えてしまう。凄く悔しいし凄く悲しい。だけど東寺の僧侶の説法には感動した。約100人を前にした素晴らしい説法だった。泣きそうになった。空海の信仰心と伝道の情熱は今も東寺に息づいている。

空海が現代に生まれたなら、何をするだろうか?どんな建築空間をつくり、どんな公共事業をし、どんな伝道をするのだろうか?きっと現代にアジャストして、霊的世界観を伝え、唯物論や共産主義に対して戦うだろう。神や仏などいないという人々や国家が増えていることは断じて許すわけにはいかない。