椋
僕が東京という街で感じたこと。 この街に就いて、綴ってみました。
金の話ばかりするクソ共とおさらばしてきた。 給料は減ったけどそれでいい。 地下鉄の窓は真っ暗でこの先の僕の人生を暗示している様。 でも何故だろう、すごく晴れやか。 地上に出たら、スカイツリーはいつも通り鮮やかに点滅している。 「眠りから覚めて」 あれ。おかしい。誰かにそう言われた気が。 さっき通り過ぎていった人だろうか。 いや違う。普段通りイヤホンは爆音だ。 耳から外すと、真夜中の静寂がそこに広がっている。 でも何か違和感を感じた。 これがデジャヴ? 街灯には蛾たちが群
書きたいこと 何もない 言いたいこと 何もない 叶えたいこと 何もない やりたいこと 何もない 求めること何もないよ 与えることもないかも 謝ることだって何もない 責めることはもっとないね どこか行きたくて 夜をのみこんで ここに居たら 陽が暮れて ここがどこかになって なぜかわからなくて あしたをさがして だからわたしは きのうをわすれて なぜが、だからになっていく おもいださないように でも、わすれないように いつか、どこかでまた、なにか始めよう
まるで春みたいで 仕事から帰って ひとり天井を見上げてる 虚しくて果てて 換気扇の下 タバコを吸う ふと見たスマホ インスタの通知 知らない苗字 元彼女からのフォロー いつかのポスト 令和4年8月2日夫婦になりました なんで僕は「いいね」したんだろう もう周りからしたらそんな歳か 僕らはもう若くない? いつの間にかすり替わって 繋がらないAirPods 再接続 これが君の音質 駅前 終電 職質くらった きっと僕の目は真赤だった 帰りを待つ、只々待ってたんだ た
蝉が鳴いていている。アブラゼミだろうか。 空が紺色と橙色のマリアージュに。 「マジックアワーやん」誰かがそう言ってたな。 眺めてたら、夕方の5時のチャイムがなった。坂本九の「ゆうやけこやけ」。カラスと一緒にお家にかえるかぁ〜、 雑踏と会話と。団地の灯り遠くに見える。 残響ーー。 いろんな思い出がフラッシュバックしてきた。幼い時の記憶、特に小学生の時のだろうか、いや、中学の部活後の夕焼け。高校生の夏休み前… 東京に居るのに、地元の情景だ。 なんだか面白くなって、マス
綾人には今、家がない。流行病の所為で孤独感と哀愁が漂う部屋に篭っていた。綾人は千葉の部屋を引き払った。それでよかった。孤独は好きだが、ずっと独りは嫌だった。 死にたいと思うことがよくある。というよりかは「消えたい」。死が救済なんておかしな考えもした。 大学校の同期とも合わなかった。アルバイト先の店長、お客さんとも楽しかったこともあった。 それでも何か足りなかったーー。 ただ、寂しかったのだと思う。僕がやりたいことも思う通りにならなかった。 だから、僕は逃げた。 ✳
君はいつだって上から目線だ。 その少し高い、車窓から、君は嬉しそうに景色を望む。東京=新潟 間を繋ぐ上越新幹線MaxときE4系には二階建ての車両がある。二階席は景色がよく、東京のビル群、埼玉の公共住宅街、群馬の高大な関東平野を一望できる。対して、一階席はその景色が防音壁に遮られ、ほとんど何も観えない。E4系Maxときは東京=新潟 間、約340kmをわずか2時間弱で結ぶ。時速にして、おおよそ240km/h。かの有名な、悪名高いかどうかは分からないが、第64代内閣総理大臣田中角
「あぁ、もう次で乗り換えか。」と独りごちる。 空虚 桜の木の下には屍体が埋まっていることを認識する。僕が弔われる日はいつか。これは信じていいことなのだろうか。 人は何故桜を美しいと認識するのだろう。これは僕の臆断だけれど、太古の日本の人々は桜の木の下に屍体を埋葬していたのだと思う。犬、猫、老婆、自決した侍、婦女、エトセトラ。きっと沢山の屍体を桜の木の下に埋めた。そして春になると、腐敗した屍体が養分となり花が咲く。死があってこその生。人の夢の様に儚く散る花びら。その潔さに
東京には何故こんなに人が多いのだろうか。 日本人はこんなにも増殖していたのかと度々思い知らされます。人間は増えても増やします。そろそろ間引きも必要なんじゃないか?と思うくらいには嫌気が刺してしまいます。危険な思想を持ち合わせてしまう自分が、あぁ、恐い恐い。まぁ、そんなことはどうでもよくて、この東京という街を独り闊歩していると見えてくるものがあるみたいで。あぁ、恐い恐い。人間が恐い…と思いながら、他人の目を気にしつつ、ときに睥睨しこのディストピアを歩くのです。なんて恐ろしい街
「それ、鬱病だよ?」 人に言われて、ようやく自覚できた。 (僕は鬱じゃない…) そうやって一人で心の中で唱えれば、唱える程段々と、ゆっくりと、僕の精神を蝕んでいった。 原因はなんだろう?なんて考えれば、考える程、負のスパイラルに巻き込まれて、生き詰まる。 だからやめた。 もっと人に甘えようと思った。 「辛かったよね、大丈夫だよ」 なんて言われても、僕の気持ちなんて分かるわけがないだろ。なんて無理して強がってた僕がいた。 でも、その言葉がすごく必要だった。嬉しかった。音
都会の夏は暑い。夜なんかクーラー無しじゃ寝ることができない。僕は電気代をケチって、窓を開けて寝ていた。あのロフトには熱気が貯まっていた。なので、夏場は下のソファで寝ていた。バイトの夜勤明け、酔っ払ってそのままソファで寝るにはちょうどよかった。 そんな7月、喫煙を覚えた。部屋で吸うときはよくベランダにでてた。 ベランダの眺めはよくない。目の前には電線が通ってるし、前の家の窓がよく見える。窓を開けてると向かいの家の女子高生の会話なんかがよく聞こえた。お泊り会でもしてるのか
目が乾いて、ピントの合わないコンタクトレンズ越しに見た黒板は、何かの数式だった気がする。僕の嫌いな数学の授業だった。窓際の席だったから、教師に声をかけられることも少ない。でも、真面目に授業を聞いていた気がする。配られたプリントは「連立方程式」の問題だった。教師が言う。 「この数式の答えは“解なし”です。」 問の答えが「解なし」じゃ、設問として成り立っていないじゃないか。そう思った。 でも、よくよく考えてみたら、正解がないことはこの世界にはよくある。哲学なんかが特にそ
末梢的な夜を幾度、捨ててきただろうか。今年も半分も過ぎてしまった。僕の大学生活も残り半分を過ぎている。流行り病のせいで、つまらない人間がまたひとり出来上がってしまった。お天道様に合わせる顔がない。長い長い自粛生活もようやく綻んできて、街も僕も、活気を取り戻しつつある。 僕はこの期間中に粛々と、資格取得(宅建取引業法)の為の勉学に励み、自宅で腹筋、背筋、腕立て伏せのセットを毎日100階繰り返し、三食全て自炊して、朝6時に起きて日にちをまたぐ前には布団に入るという生活を繰り返し
先日、「尾崎豊を探して」という映画を見てきた。渋谷のTOHOシネマズにて。 映画を見る前に、渋谷クロスタワーにある尾崎豊記念碑にたちよった。そこには多くの世代からのメッセージが書かれていた。 「あなたの歌に救われました。」 「尾崎ありがとう」 「45の夜」 エトセトラ。中には韓国語や中国語で書かれたメッセージもあった。 僕が生まれた時には、尾崎はこの世にいない。でも受け継がれてきた歌がある。 僕は尾崎が、彼の音楽が好きだ。 *** まだ僕が小さかった頃、確か小
2019年12月31日。午前6時17分。この記事を書き始める。 さぁ今年も最後だ。怒涛の12時間勤務(バイト)を終えて、絶賛喫煙中。カラダに疲れが溜まってる。 このまま寝ないで、スーツケースに荷物を詰めたら、午前11時20分、上野発、上越新幹線MAXとき365号、新潟行きで地元に帰省する予定だ。 目の前には換気扇の音。IHコンロと陳列された空き缶。記事を打ってるiPhone 8。カラダを労る為の申し訳程度のグリーンスムージー(カロリーオフ)。 そして、パンイチ。シャワー
一人暮らしにおけるロフト、後になって気づく。別に必要ない。 「借りる部屋、どうしようか…」とあれこれ不動産のサイトを調べる。長かった受験期を終え、待ちに待ったキャンパスライフ。一人暮らしだからいろいろと自由だ!なんて心弾ませた…そんな3月のこと。 僕がはじめて借りた”あの部屋”。6畳プラス2畳のロフト付き1K。最寄りは、足立区、北千住駅。しかし駅からは徒歩20分以上かかる。大学はもっと大都会にあった。なので、学校に行くのに1時間はかかっていた。 学校の近くで過ごすよりも
僕が“彼ら”を初めて聴いたのはいつだっただろう。 たしか、高校3年生の夏、だった気がする。当時、ギターをまた弾き始めたこともあって、いろんなCDを試し聴きするのにハマっていた。(それがすごく、受験勉強の息抜きになっていた)カフェが併設された某CDショップで制服を崩して着ながら、うろちょろしていたことを今でも思い出す。チョット痛いやつだったかもしれない… CD棚の左端の方、「な」行の真ん中あたりに「ナンバーガール」の文字を見つけた。ナンバーガール?弾き語りする女の人かな?名