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AM5:30の静けさ

緑凪という名前は私の原風景からきています。

佐賀県の山や田んぼに囲まれた土地で生まれ育ちました。
母子家庭の母の仕事の都合で、小学校低学年の頃から朝5:30に起きる生活をしていました。
登校する7:30頃までは2歳年上の姉と2人きりの時間を過ごしていました。

AM5:30はとても静かな時間です。

ほとんどの人が寝ていてバラエティ番組もやっていませんので、現実世界もテレビの世界も特別静かです。

毎日早朝2時間の余裕がある私達は、スペースシャワーTVをみて清竜人の痛いよのPVを見て怖くなったり、plentyやPeople In The Boxに惹かれたりしました。

各時期の早朝の空の色を憶えています。
春は柔らかく薄い水色
夏は明るく深い水色
秋は暗い水色
冬は暗く深い紺色

夏の暑さ、冬の寒さを恨んでも、朝の純粋な綺麗さは等しく好きでした。

テレビを消すと、時計のちくたく音と冷蔵庫の音が聴こえるくらいの静かさでした。


多分この頃の記憶が、私の核になる部分を形成しているのだと思います。
昼のギラギラした光よりも、朝の輪郭線のぼやけた曖昧なフレームが好きだし、日の出前の冷たさや限りなく朝に近い夜の雰囲気に遭遇すると、なぜ綺麗な時間は長く続かないのかと口惜しい気持ちになります。


小・中学校にもしっかりと人間関係が構築されています。
人間関係は絶えず変化し、誰かが何かの拍子で機嫌を悪くし、攻撃を開始する。
そんな日々の攻防が毎日繰り返されていました。
憎しみが私の全てであるかのように、こんこんと絶えず湧いてくる時期がありました。日々に怯え、虚勢を張っていたのだと思います。


朝の時間は私に安らぎを与えます。

母はよく、「私が早朝の暗いうちに働きに出るのは、子どもだけで過ごす時間に外が明るくなってくれるから」だと話してくれました。
儚い人間関係はスピーディに移り変わり、新しいタブーやルールが生まれては枯れていきます。

けれども、朝の時間は不変でした。毎日、夜に暗くなって青い朝が来て、昼になります。
誰かを憎むことも憎まれることもない清い朝が私を癒す時間だったのだと、振り返るとそういうことだと思っています。


通学路にある用水路を眺めることも好きでした。
水面は絶えず揺らめいていて、いつまでも退屈せずに居られそうでした。
静かで、誰にも危害を加えられる心配のない時間に支えられて生きていました。


大人になって、緑凪を始めました。

朝の時間、薄い青に染まる街や深緑の山を見ると落ち着きました。水辺を眺めることも変わらずずっと好きでした。
このような状態のとき、私の心は凪いでいるということに気が付きました。

"心が凪いでいる"という表現はこれまでどこかで触れたというわけではなく、私の内側にある感情や状態を自分の力で的確に言語化できたと喜びました。

この、心の凪へとアクセスできるようなものや場所を作りたいと思うようになりました。
その想いは、創作好きな私のできることと組み合わせたときに、ネイルチップになり緑凪となりました。

そして今後は、noteとなり、詩となり、絵へと
なっていくことでしょう。
まだ見ぬ他の表現と出会うかもしれません。


緑凪をひとつひとつ進めることは、内なる自分との対話であり、それは彫刻のような作業です。
言葉、デザイン、ネイルチップなどあらゆる表現をツールとして私が思い描く世界を内側から掘り起こす作業だからです。

自分に問いかけるとき、新しい答えが返ってきます。
言葉にもならない印象や要素がふわふわと浮かんで、因果が破綻することもしばしばあります。
しかし、それをどうにかしてまとめて、緑凪というひとつの世界を提示したいという意思があります。


そして、緑凪へアクセスした人がAM5:30の空気や静けさを感じ、心の波が穏やかに凪ぐ感覚を味わうことができたら。いつかきっと来るその日を追いかけています。


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