好きと苦手は反比例しない[小説 東の国⑤-1]

 ここ、通称東の国は他国に比べて立地の的に比較的四季がはっきりしていると言われている。
それ故か、独特の文化や獣人の永住率が高く、商店街でもモフモフ商店街と揶揄されるほど独自の系統をたどっているのだ。

一番顕著に特徴に出ているのがその服装で、他国では洋服という布を切り分けて体に合った物を作成するのに対し、気候の変化の激しい東の国では布をシンプルに切って縫う着物というスタイルの方が多くの人が着ている。
もちろん、東の国で洋服を着ている人も居るし、他国で着物を着ている人だっている。
中には、あの鮫の獣人のブランドの様にオリジナルの新しい洋服を作ったり両方をかけ合わせたりする着方だってある。
ま、私の場合はぽこ食堂の割烹着を着ながらのこの着物姿の方が慣れているのでこれを着ているのだけれども。
そんな、四季のはっきりしたこの国で人気の高い季節が近づいてきた。
様々な瑞々しい食材の旬の季節…春である。

この春の時期になると、私はいつも決意する事がある。
幼少期に通った寺子屋でも、この時期になると一つ上の学問に進んだためか新しいことに挑戦したくなることがあるのだが、ここ数年は同じ事を繰り返している。
目の前にある大きな蒸し器についている布を、クルリと巻いた蓋の持ち手に手を添えたり離したりしながら唸っているのは、この村のぽこ食堂の女将である私だ。

まあ、女将と言っても先日入った給仕係の自称いつか忍者希望のカラス(今のところ私はこの国で忍者を見たことは無い)を除いてこの食堂は私のみという規模の食堂だ。
このぽこ食堂、この国では南側の各村や町に一軒は必ずあるタヌキの系列食堂である。
まあ、屋号がタヌキでありメニューは店主がある程度変えられるが基本的には定食が美味しい店という立ち位置だ。
ごはんも汁物もお代わり自由というスタンスが、旅人や冒険者に人気で良くごひいきにしてもらっている。
さらに、これは最近まで知らなかったのだが飲める水やお茶がお店に入ってタダでいくらでも飲めるというのはこの国の独自の文化らしい。
最近は冒険者ギルドの方で教えているので聞かれる事はあまりないのだが、初級冒険者と思わしき人が通りでもじもじしている時があるなと思っていたのだ。
そして、お昼を過ぎたあたりに食事が終わっても少しキョロキョロしているお客さんが増えたと感じたのは数年前のこの時期。
決まってこの時期だけだったので気が付かなかったのだが、ある時聞かれたのだ
「このお店、甘味は無いんですか?あの庭の桜を見ながら縁側でお茶を飲んでみたいんですけど」

もちろん、この国の甘味は美味しいと私は思っている。
特に、ねりきりや大福といったアンコとお抹茶を飲むときはもう至福としか言いようがないし、ここではない北の方にある狐がやっているコン食で出されるクレープや季節の水菓子のふんだんに乗ったパフェなんか宝石箱だ。
しかし、この食堂で甘味だけのメニューは今まで扱っていない。
それは、商店街にとても美味しいプロのアンコを炊いている和菓子屋さんがあるからだ。

このアンコというのが美味しく作るのが難しい。
ただ作るだけならばできなくはない。私だって自分用におはぎを作ったりもする。(余談だが、これを作った時に従業員のカラスに大きすぎるとドン引きされたが聞かなかったことにした)
けれども、お客様に出すとなると同じ商店街にあるのであのレベルのアンコを同じ料金で出せるか?と聞かれたら、まずあのレベルのアンコが作れないのだ。
和菓子職人の職人の技術の凄さは何となくでは出来ない。技も手間暇も使って作るアンコはもうこの国の宝だと勝手に私の中で認定している。
さらに、寒天や干菓子といったものも考えたのだが和菓子屋の店舗の隣にある甘味処でそれは出されている。
もちろんあちらも美味しいが、あのお店はおやつ時から開かれる。
そうすると、うちの店でキョロキョロしていた人達が求めるのは定食を食べてちょっとだけ甘い物を入れたいという時なのだろう。
そして、何より寒天は長い時間冷蔵庫の場所をとる。うちの食堂の仕込みからすると前日から仕込まねばならない物は難しい。
そんなお店の事情や何かを考慮した結果、お店にある道具で作れてかつ在庫的にも困らない物ということで私が最終的に出した結論はプリンとなったのだ。

数年前には蒸し器しかなかったので、この蒸しプリンに春になると挑戦しているのだが、まあこれが上手くいかない。
茶碗蒸しは失敗しないのだが、何故かこの蒸しプリンになると気持ち的にはやってしまうのかちょっと緩い状態で蓋を開けてしまう。
そして、その緩さを見て反省してもう一度蒸しなおすと…すの入った残念プリンへと変貌しているのだ。
もちろん、すの入ったプリンを出すわけにはいかないので残念プリンはキチンと私がちゃんと全てお腹に入れています。そこはご安心を。
そして、そうこうしているうちに春が終わりを告げて私は少し面積が広くなった気がしないでもないお腹を見て減量を考え…というのが夏のお知らせ代わりとなっているここ最近の流れだ。

なんて考えながら自分のお腹を見て、見たことを即座に記憶から削除して再び蒸し器の蓋を取れば本日もお目見えするのは残念プリン。
自分のお腹のお肉に思いを馳せすぎたの表すかのように容器のギリギリまで入れたプリン液は、あざ笑うかのようにちょっとはみ出しているのも残念プリンの名前に恥じない残念さである。
…よし、賄に出して夏の減量仲間をもう一人増やそう。
そう決意しながら私は蒸し器を火からおろした。

そんな私の後方にあるオーブンは知っている。
自分を使えば、時間も温度もばっちりでぽこ食堂の未来の小さな名物、焼き蒸しプリンを作れることを。
そして、昨夜にカラスが『どんなに食べても自分は全く太らない体質だ』と女将さんに話していたことを。