詰みルールだったな

学生の頃に課されたルール(門限)が思ったより自分の活動に制約がかかり苦しかったので、苦しさを言語化してみる。

ルールが悪いのではない。ルールの中で人生を楽しく過ごせるほどの魅力がない人間なので、ルールを破ったところにある少しアングラな領域で楽しく生きていたかった。学校のクラスがいやだから保健室へ行くように、学校に馴染めないから夜の街のどこかで居場所を見つけたかった。

そのルートを潰された(ような気分でいた)ので、今の自分そのままで勝負しようにもどこにも行けない…という詰み状態となっていた。当時、周囲には東京のおねえさんと表現するしかないような綺麗な人や明るい人が多かった。クラスに馴染めないどころではない、本物のキラキラした人たちを目の当たりにして「ここで居場所作れないな」と焦っていた。

当時周囲の人への私の接し方がおかしかったのか一緒にいる価値がなかったのか分からないが、”いつも一緒にいるメンバー”に入ってきて欲しくないというか、イケてる集団を作る時邪魔な要素として見なされていたのはひしひしと伝わってきた。そこで今まで味わったことのない挫折感、辛さを味わった。大学なのに小中高の延長みたいな感覚でいた自分も幼いけど、とにかく自分が自分のままでいられる場所がなかった。

あの頃のつらい状況に門限というルールの合わせ技は、空気があるはずの部屋にいるのにずっと息が苦しいような感覚の辛さがあった。そのルールを背負ってこの辛い状況を突破できるような人間ならば、今頃こんなことになっていませんけどね? と嫌味を言いたくなるくらいの悲しさ。人間的に魅力もなく忍耐力もなく、こういった辛い状況を打破するためのパワーがない自分への嫌悪。

ルールがない状態であれば、友達が作れたかもしれない。そこで作れる友達が人生を通じた友達となりうるかかは不明だけど、少なくとも孤独で頭がおかしくなりそうになることはない。そういったジャンクな人間関係や悪い人間と知り合うリスクを避けるためのルールだったのだろうが、そのルールで精神崩壊しそうになったよと伝えたとしても、ルールは正しいと思うのだろうか。

・・・なんて。聞きたくもない。この辺の話を親とすると揉めるのでしません。

挫折という言葉で言い表せないくらい、あの頃の出来事全体が自分の人格形成に暗い影を落としている。こういった経験をした人はあまりいないし人生順調に過ごしてきた人はこういう事象を一生かすりもせず生きていくのも分かる。だからこそ、自分と似たような辛さを抱えた人がいたら、他の人よりは少しやさしく手を差し伸べられる気がする。

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