
ありがちな親の接し方。「善い」は「苦しい」「悪い」は「快」
ありがちな親の接し方
「善い」は「苦しい」「悪い」は「快」である
家庭内で日常的に繰り返される体験パターン
活発な子どもの行動に対し、エネルギー節約的になるため選択される。
よいことをしているときは、あえて働きかけず自分の用事をする。
いけないことをする場合と、必要なことをしないときは、禁止・強制・叱責・罰。しかも、その理由は十分な説明がまずなされない。
印象空間と体験の分布
善-悪 快-苦の2軸平面における印象の位置づけ
子ども側からの印象量と体験量は以下になる。
「善にして快」
体験量・印象量:希薄
子供が自発的に実行するため、親があえて働きかけない領域
「当たり前扱い」にして無価値なように評価しがち
客観的・社会的に「善にして快」でも、その「善」の評価情報は、印象としてろくに子供の心に届かない
ただやりたいからやっているだけの、善悪に無関係な活動として流れていきがち
子供に許された限られた範囲の行動には、非常に急速に「飽き」が生じ「善にして快」の「快」が消えるか、最低水準になる
子供側の印象においてほとんど発生しないに近い状態
「善にして苦」
体験量・印象量:多大
子供の体験の非常に多く
しつけの多くは苦痛を伴う
苦痛時に限って「よくやった、良い子だ」と認められる
「やっぱり善いことは辛い」とい印象を強くする
やらないで叱られるにせよ、耐え忍んでやるにせよ、善苦体験の印象は強い
「良薬口に苦し」は事実というより、印象がそうである産物
「悪にして快」
体験量・印象量:多大
「善にして苦」と表裏で多く発生する
強制・督励されることを怠けることは「悪」
お菓子を食べるような、子供の快に当たる多くは制限され「悪」とされる
「快」を味わった場合はマイナス評価で「悪い子」宣告をされる
実際にはすぐ飽きる、懲りてしないことも、親の禁止や抑制のために
一度も存分にやってみたことのない事柄はいつまでも興味と好奇心の対象であり続ける
これは「悪」への好奇心ではなく、未知への無差別の興味のうち、満たされないものが残っただけ
結果として、「面白そうな、やりたいことに限って、すると叱られる」という事柄の存在は強く印象づけられる
「悪にして苦」
体験量・印象量:希薄
未経験や勘違いによって事故的に発生するが、大抵は懲りて繰り返さない
親は子供が自ずと懲りるような失敗については
あえて叱責や評価に及ばないことも多い
苦痛行動が「悪」に属すると意識しない
ただ嫌だから次からしない状態
「悪と苦を同時に避けた」と意識しない
子供の心での「悪にして苦」の領域に位置づけられる印象を伴う体験や事柄は、実際には日常ほとんど発生しない
以上の体験量・印象量の差により、
「善苦悪快観念」と呼ぶ条件反応の形成が導かれる
極めて幅広い家庭に該当し、不可避に近い
「善苦悪快観念」の心理作用
【善のとき苦】
善いことをするときに苦しいや負担感を味わう
「善いこと」と認知されることは本来以上の苦痛を体験する
ex) 真面目に働く、勉強する等
善いとされることは、警戒心(苦に帰する予感)を抱いて実行しづらい
もし実行しても砂を噛むような不快感
心底では、良い人間に徹すると不幸になる思いがある
【苦のとき善】
苦しいことの中に善を感じる
「かわいそうな私」が「善良な私」と意識される
自分からかわいそうな状態になる
仕事や勉強で、知恵のない非能率な苦しい方法を、真面目で正しい方法に感じる
そのため工夫と進歩に欠ける
意味がない難行苦行が世界中で因習的に根強い背景
苦しみそのものが心情的な「値打ち感」を引き起こしている
【悪のとき快】
悪いことをするときに快感や愉悦を味わう
「禁止されていると、それだけで気持ちがそそられる」心情
また、「悪」と認知される虐待・残酷を面白いと感じる
人が苦しむのを見るのが面白いと思い込む
【快のとき悪】
自分が快適な状態にあると、悪いことをしてる感じを味わう
楽をすることに後ろめたさを感じる
「楽をする」ことを他人にまで執拗に戒めるのもこの類
仕事や勉強で、能率的で楽しいやり方を邪道視して受け付けないなど
遊び、休みにわけもなく罪悪感を感じる
出典:「和の実学」著者:大和信春 出版:博進堂 はる研究院