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「いったい何のために生きていくのか」自分が選び決める
「どの方向に向かって探求努力をすればよいのか」を大筋で誤らないため
自問自答
「自分はいったい何のために生きているのだろうか」
どこかで教えられたにすぎないものは、志とは言えない
「自覚的に何かを目指して生きていますか」
「つまらないことのために命を費やすつもりですか」
「立派といわれなくても、好きなように生きればいい」という一般的反応
善苦悪快観念の影響
好きなようにすると社会的にはマイナスの評価しか期待できないという予感
善苦悪快観念のようなもので曇らされさえしなければ
奥底では「素晴らしい生き方をしたい」と叫んでいる
不本意な境遇に屈して人生を投げてしまったような人でさえ
「生きるに値する人生」を深刻に求めている
どんなポーズをとっている人も「命を輝かせる」ために命がけ
大切なものは、大切だと納得いくものとしか引き換えたくない
命、人生だって同じことを<素直>に再確認しましょう
「迫害されても、殺されても、その生き方をしますか」と聞くと「そこまでは」
つまり、命を何より大切にしながら、その命は大して価値を感じてない
ちょっと危険があると放棄してしまう程度のものと置き換え
「自分の命を価値あることに精一杯使おう」と決心する
何のために生きるかを自分が選び、自分で決めることができることに気が付く
天命は自覚されるのを待っている
人は志を求め始めたとき
漠然と「自分のための何か」という考え方から「何かのための人生」という生き方へ
180度転換で、祝福すべき新たな出発
<天命探求の旅>が始まる
自分に天与の使命があるなら、究明し、沿って生きようとする意識
天命はその人の個性や境遇の固有性と不可分に結びつく
自分の内にあって自覚されるのを待っている
天命はすべての人に備わっている
問題はそれを発見できるかどうか
生涯自覚することなく終わる人が多い
人によっては地中深くの宝さがしのような難事業
それでも諦めずに探求していけば、ついには見つけられる
出典:「心の自立」著者:大和信春 出版: 明元舎 はる研究院