私のなかに生まれた、消えない道しるべ
その人との出会い
私には、自分の人生の“道しるべ“のような人がいる。
その人と出会ったのはもう10年近く前。
素朴で清潔感のある小さなタイマッサージ屋さんで出会った。
その人は、マッサージセラピストでありダンスを教える人でもある。
いつも、とてもやわらかくてあたたかな手で、私の硬くなった身体をほぐしてくれた。
いつでも、太陽のような大きな笑顔で私を迎えてくれた。
私が疲れすぎて眠ってしまわないかぎりは、マッサージをしてもらいながらいろんな話をした。
会ったときからなぜか、ふつう初対面の人には話さないような、私が大切にしている想いとか、職場では隠している部分を見せることができた。
私が何を話しても、
「そうだね」
といって受け止めて聴いてくれた。
その人はいつだって、なんだって受け入れてくれる。
そしてなぜか、私のことをとてもわかってくれていた。
身体を触るだけで、
「最近、悲しいことがあった?」
「息ができないほど苦しいんだね」
って、私がほんとうは叫びたいのに誰にもいえない気持ちを、ぴたりとわかってくれて、なにも言わずにただ受け入れ、触れて、ほぐして、あたためてくれて、最後には愛と元気を身体に入れてくれた。
ああ、こんな人ってほかにいるだろうか。
いや、いないなぁ。
すごい人だなぁ。
素晴らしい人に出会えたなぁって思っていた。
私からみると、マッサージはその人の天職のように思えた。自分の天職に、その人はどうやって出会ったんだろう?と思って聞いてみたことがある。
昔、会社員として働いていたけど、身体を壊して辞めたそうだ。無理をしていたのか、辞めたあとどうしたのかとか、そのあたりのことは聞いたけどあまりよく覚えていない。
でも、ある日とつぜん、
「マッサージがしたい!」
って思ったんだって。
そしてマッサージをはじめたんだって。
それからダンスも、
「踊りたい!」
って思って、ダンスを教えるようになったんだって。
それは、誰かに言われたんじゃない。
こっちのほうが収入がいいとか、この仕事なら安定しているとか、そんな理由で選んだんじゃない。
それをやったらどんなに楽しいだろう?それを想像するだけでワクワクする!というような、自分の心の奥にある衝動に、ちゃんと向き合って願い
を叶えてあげたんだ。
私にはその生き方も、憧れだった。
私にとっての道しるべだった。
会社という枠から出て、好きなことをして生きていく。私がやりたいけれどできない道を歩いている先生のようだった。
そんな風に生きるのは難しいだろうな、たくさん捨てなければいけないことがあるんだろうなと思ってた。
でもほんとうは、ずっと感じていた。
「私もきっとそこへ行く」
って。
私が「そこ」に行くまで
でも「そこへ行く」にはどう行ったらいいか、道もわからないし、いつ着くのかもわからなくて、だいぶ道に迷った。
ほんとうに「そこ」へ行きたいのかわからなくなって、違う場所へ行こうとしたり。
だから転職を繰り返した。
転職の度に会社に求めることが変わっていって、お金だったり、事業内容だったり、役職だったり。
でもぜんぶ違った。
だから結局、会社員を辞めた。辞めるしかなかった。
その後も右往左往したけど、私はやっと「そこ」にたどり着いた。
その人にとっての「マッサージ」と「ダンス」は、私にとっての「コーチング」と「対話」だった。
どちらも出会ってから、「これだ!」と思って、その手を離さなかった。
これからもいろんな出会いがあり、迷いもあるかもしれないけど、私は今、コーチングと対話で生きていきたいと思ってる。
会社のために自分の時間を使うのではなく、誰かに言われたことをやらされるのではなく、自分が持って生まれてきたこの身体と資質と、感じてきたことで育まれた意志と想いを活かして生きていく。
「そこ」には、光と、愛と、あたたかさと、希望がある。
そして仲間がいる。
「そこ」はそういう場所だった。
今、私は、また迷子にならないように「コーチング」と「対話」の2つの手をぎゅっと握っている。
でも知ってる。私はもう迷子にならないことを。
「そこ」は、恐れよりも、豊かさやあたたかさや優しさがある場所だったから。「そこ」は光が満ちていて、どこにいても行くべき方向を照らしてくれていた。
気づけば同じ道に立っていた
会社員を辞めてから、自由に使えるお金が少なくなって、しばらくマッサージを受けていなかった。
でもこの6月に、対話の仲間たちとやるオンラインイベントの企画が立ち上がり、そのなかで「身体との対話」をテーマにしたワークショップをやることになった。
開催まで日がないなかで、どんなワークショップをやろうか考えあぐねていたとき、ふと思い立ち、久しぶりにタイマッサージ屋さんに行った。
マッサージとダンスを生業にしているその人に、アドバイスをもらおうと思って。
「セルフマッサージの方法とかが聞けたらいいな」くらいの気持ちで行ったのだけど、なんとその人は「身体との対話」といえるようなワークショップをすでにやっていた。
たくさんの身になるアドバイスをもらって、わくわくしながら話を聴き、いつもどおりにあたたかくて愛のあるマッサージを受け、ほくほくしながら帰路についた。
アドバイスとマッサージがうれしかったのはもちろんだけど、それ以上にうれしかったのは、いつのまにか私も、その人がいる「そこ」にいたことだった。
自分はまだまだコーチングと対話だけで食べていっているわけではないし、だからその人は何歩も先を歩いてるのだけど、でも同じ道にいるなぁって感じられたことが何よりも嬉しかった。
好きなことをやる。そこに惜しみなく自分を使う。
その楽しさ、嬉しさを知っている仲間のような感覚を感じながら帰り道を歩いた。
オンラインイベントも、企画立ち上げから開催まで1ヶ月という短期間ながら、仲間たちと楽しく無事に開催でき、参加していただいた方からも嬉しい声をいただいた。
そのお礼と報告をその人にメッセージした。
私のながーいメッセージに対して、
「よかった、よかったー!」
という短い返信だったけど、心の底からそう言ってもらっていることを感じられたあたたかい返事だった。
失った道しるべ
それから2ヶ月たったある日、私は鵠沼海岸にいた。
対話で出会った友達2人と、あつーい盛りの8月下旬に鵠沼海岸で集まって遊ぼうという話になり、あまりにも暑すぎて友達の家でダラダラしていた。
その2人のうちのひとりは即興演劇とダンスをやっているのだが、詳しい話を聞いたことはなかった。
たまたまその時、ダンスの話になり、どんなダンスをやっているのか聞いてみたら、なんと友人にダンスを教えていたのは、私にマッサージをしてくれている「その人」だった。
「えぇー!そんなことってあるんだねぇ」
「世間は狭いねぇ」
なんてひととおりびっくりしたあと、その友人が言った。
「その人、今月亡くなったんだよ」
最初、なにを言っているのかわからなかった。
「……」
「え?どういうこと?」
「誰が亡くなったの?」
「ほんとに?」
「どうして?」
どうやら事実であるらしかった。その人は、亡くなったのだ。
信じられないけど、重度の熱中症で突然帰らぬ人になったのだ。
いつも太陽のような顔いっぱいの笑顔で迎えてくれて、言葉にできない私の心の声を聴いてくれて、あたたかくてやわらかい手で触れてくれたその人は、もうこの世に存在しない。
……ちょっと、耐えがたい。
いや、ちょっとじゃなく耐えがたい。
その存在がない、笑顔が見られない、触れられない、声が聴けないということが、ただ悲しい。
そして、いつか追いつくと思っていたその道の先にその人がいないということが寂しい。
私が目指す道の先で、こちらを振り返って満面の笑みで待ってくれている。そう思ってた。
いつか追いついて、「よく来たね」って言ってもらえる日を楽しみにしていた。
亡くなったと聞いてから、ずっと問いが浮かんでは消えていく。
「なぜ、亡くなったのか」
「この死にはどんな意味があるのか」
「その人は幸せだったのか」
「私はどうするべきなのか」
「なにかできることはあるのか」
すべての問いには答えがない。答えてくれる人はいない。
だから、自分で答えを出すしかない。
「私は、どうしたいのか」
私は、この死を、その人の生を、人生を祝福したい。
そして、私がその人から受け取ったたくさんの愛と、優しさと、あたたかさと、なんでも受け入れる広い心と、笑顔と、存在自体で人を励ますというあり方を、誰かに渡していきたい。
人が亡くなると、最初は受け入れられなくて、「今までいたのに、いない」ことがつらい。
でも時間が経つと、「いない」ということに、慣れてくる。
でも逆に「いないことを受け入れ、慣れてくる」という事実が、つらくなる。その人を大切に思っているからこそ、慣れてくる自分が悲しい。
だから、その人は、「ずっといる」と思うことにした。
私が目指す道の先で、こちらを振り返って満面の笑みで待ってくれている。そう思うことにした。
人がほんとうに死ぬときは、人から忘れられた時だと聞いたことがある。
だから、忘れないことにした。
私に目指すべき道を教えてくれた人を。そこは決して恐い場所ではなく、光あふれる場所だと教えてくれた人を。
今あなたがいる場所は、きっとここより高く、広く、美しく輝いた場所でしょう。
そこからはどう見えていますか?
あなたから私はどう見えていますか?
そうやってこれからも問いかけながら生きていきたい。
私はこれから、もっともっと自分を活かします。
自分が持って生まれてきたこの身体と資質と、感じてきたことで育まれた意志と想いをぜんぶ活かして生きていきます。
あなたに誇れるように生きているか、あなたから受け取ったバトンをちゃんと渡せているか。それが私の新しい「道しるべ」になった。
そして、いつか追いついて、「よく来たね」って言ってもらえる日を楽しみに、これからも生きていく。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?