誰にでも必ず希望はある
何をやってもうまくいかない時、これから先どうなるかわからない時、人は希望を見失いがちになります。ただ、それは希望が無くなったわけではありません。本当は誰にでも希望はあります。それなのに絶望してしまうのはどうしてか。もしかしたら、ネガティブなことばかり考えてしまって希望がどこかに追いやられているのかもしれませんし、じつは目の前に希望があるのにピントが合っていないせいでぼやけているのかもしれません。
そうやって希望を見つけられなくなり、自分では気づけなくなってしまうと、その状態からなかなか抜け出せなくなります。周りの人から応援してもらったり、共感してもらったりすると少しは気が楽になることもあります。気分転換に好きなこと、やりたいことに没頭してみると、楽しい気持ちにもなれます。ただ、それは決して長続きしません。気の持ちようで何とかなるのなら、長々と悩むことはありませんし、「希望を持とう!」と言われて持てるものなら、誰も絶望したりしないはずです。
何かに悩み、苦しんでいる状態から抜け出すためには、長いトンネルの向こう側に一筋の光を見つける必要があります。つまり、見失ってしまった希望をもう一度見つけ出し、そこにピントを合わせ直すことです。世の中には「これさえ拝めば希望を与えてもらえる」なんて宗教もあるようですが、そもそも希望は誰かに与えてもらうものではありません。希望は自分の中にあります。そのことに気づくことが問題解決の第一歩。
つまり、待っているだけではダメ。誰かのせいにしていてもダメ。自分こそが当事者であり「自分が動いてこそ」なのです。仏教はそのことを説き、具体的な解決策を教えてくれます。ぜひ、あなたの人生に仏教を!
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?