「恩知らず」は大いに罪深い
人生の基礎である《恩》は「陰(いん)」と「陽(よう)」の双方にわたります。目に見えてわかる、手に取ってわかる、耳に聞こえてわかる「陽」の恩と、目に見えない、手に取れない、耳に聞こえない少しわかりづらい「陰」の恩。たとえば、旅行のお土産をいただいた時には「今度、お返ししなきゃ!」と、すぐに思うもんですし、自分が旅行に行った時にはそのことを思い出すものです。
ところが、両親に育ててもらった恩となると、どことなく「当たり前」と感じてしまい、帰る家があるのも、電気・水道・インターネットが使えるのも、ご飯が食べられるのも、何ひとつ「ありがたい」と思えない、そこに大きな恩があることに気づけないものです。親の立場であれば、そういったことを恩着せがましく「感謝しろ」と言う訳もありません。ということは、受け手である子供たちが、どれだけ恩を感じ取るかにかかっているのです。
もし、一回でも「ありがたい」という思いを持ち、恩を感じたことがあるのであれば、たとえ今はスッカリ忘れていたとしても、何かのキッカケで思い出す可能性があります。しかし、これまでに一回も「ありがたい」という思いを持ったことが全くない人は、その可能性が全く無い訳で、その点において《恩知らずの人》は大いに罪深いと言えます。自分の因(もと)であり、事の始まりでもある「恩」に気づける人、忘れない人になろう!
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