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師匠に仕(つか)える

どんな修行(修業)でも同じことが言えますが、最も大切なことは「師匠に仕えること」です。それは、師匠から教わったことを丸ごといただいて、その通りを実践していくのは当然のこと。いつも師匠のすぐ側にいて、その一挙手一投足を見聞きし、そのオーラを肌で感じ取っていく。師匠の手となり足となり、それこそ師匠と一心同体となれるように常に振る舞っていくのです。

その際に、最も邪魔になるのが「我(が)」であり、我を張る間は決して師匠には近づけません。たとえ、どんなに表面的な知識や技術を身につけたとしても、それは張りぼてで、中身が無い。師匠の知識や技術には遠く及ばず、自分では気づけない歪みや凹凸、余計な癖がついています。師匠の教えを丸ごといただくためには、「我を出さずに取り組むこと」が決め手となるのです。

たとえ、自分の目には《白》に映るものであったとしても、師匠が「黒」と言えば《黒》です。その時に「私の目には白に映ります」と思ったり、言ったりしている間は絶対成長できません。そんなことを言っている時点で「師匠から教わろう」という姿勢がまだまだ弱い、なってない。「自分は未熟だから《白》に見えてしまうんだ」と思い、教えをいただくのが本来の姿勢です。

そして、そのモチベーションとなるのは、やはり「絶対に一人前になるぞ!」という思いです。「それなりに上達できたら…」なんて生半可な思いでいると、必ず気の緩みや、怠りが出ます。だからこそ、いつも師匠を見て、とことん仕えるのが修行を成功させる絶対条件だと言えます。これは決して古臭いことではなく、心技体を極めていく上での真理、必ず通るべき道なのです。

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