変化と受容の先にあるもの2 v.1.0
新しい体験を始めるのは難しい。新しいカフェに行く、注文したことのないメニューを試す。いつもと同じものを手放して何かを変えたいとき、最初の一歩のための行動は難しくないだろうか?たとえその変化が望ましいものであったとしてもうまくいかない理由をあれこれ考えて始めるのを躊躇する。ヨガを始めようとスタジオを調べて体験クラスがあることを知る。申し込もうか、やめておこうか。もっともらしい理由を作り出して、やっぱりやめておこうと引き返す。このスタジオ好きじゃないかもしれない。開きかけた新しい世界への扉を閉めようとする瞬間だ。試してみなければ感想はわからない。行って体験して気づくことがある。
変えたいのに変化を恐れているのはなぜなのかとぼんやり考えていて気づいたことがある。自分が変えた行為の結果として、起きたことを受け入れなければいけないとプレッシャーを感じているからではないだろうか?変化は自分が起こしたとしても、それにより起こった状況をすべて受容しなければいけないわけではない。むしろ拒否していい。気に入らなければ受け入れなくたっていいのだが、なんとなく起こったことを全て受け取らなければならないような錯覚にとらわれている。拒絶したってかまわない。でもnoというのが面倒くさかったり、波風をたてたくなかったりしてそのままやり過ごしてしまう。私がやりがちだったのは、まるで自分が存在しないかのようにその快適でない状況を眺めて、ただ時間がすぎるのを待つ。それも悪くないが最適解ではない。
では状況に適応するには?つまり必要な変化を行動により起こし、それにより生じた自分に都合の良い結果だけ受け取るにはどうしたらいいのだろうか?おそらくそう決めるだけでいい。これは好き、だけどこれはいらないというように。スーパーマーケットで今夜の献立に必要な食材だけを選ぶように今の自分に必要な要素だけ受け取って持っていけばいい。だってそれがあなたの人生じゃない?要らないものを受け取る必要はないはず。そう考えたらずいぶん身軽になった。そしてその変化を起こすのも楽しみになってきた。バッグの中から要らないものを取り除こう。よし、そう決めたらなんだか気分が軽くなってきた。久しぶりに眺めたX線結晶構造解析のデータを数年ぶりに解析してみるのもいいかもしれない。それは自然が作ったパズルだ。真っ白い紙に切り目を入れたジグソーパズルは管の中に入っていて、すぐに答えがわかる4切れのピースなこともあるが400枚の複雑なピースなこともある。物質科学の世界では材料は人が用意するが合成した条件でパズル作るのは自然だから、それがすぐに解けるのか数か月かかるのかはやってみないとわからない。答えがすぐにわかるような簡単なものは自動的に解が出る。だから普通に解いたのでは歯が立たないような難しいものしか研究所には来ないんだけどね。
いつか科学を離れる時が来るだろう。ここで給与を受け取らないだけでなく、必要がなくなって所属も手放し、最後に研究所からいなくなる時が来るだろう。それはいつかな?もうすぐやってくるのかもかもしれない。
変化と受容の旅は続く。