答えのない世界に仮説で人生を賭けたことはありますか?
未知の挑戦への全力投球
僕が今取り組んでいるすべてのプロジェクトはどれをとっても答えが出ているものはなくて、「誰より頑張る」とか「誰より効率よく合理的にうまくやる」なんてことで通用する世界線にありません。
目的達成のための手段に再現性の高い方法論が、あるいは手法が確立されているわけではなくて、すべてが仮説の域を出ないまま、それでも「オールイン」しなければ手立てを得ることも難しい勝負をしています。
高コストプロジェクトへの情熱と学び
僕は大型のメタバース開発やWeb3.0の体験型実店舗やNFTを用いたタレントIP量産システムなどなど、個人で賄うにはだいぶコストのかかりすぎるプロジェクトばかりを手掛けています。それを資金調達なしに目標のマイルストーンに至るまで3年間、毎月何千万も投じてやってきました。
自分で選んだ道だからそれは百も承知なんだけれども、僕自身が結果にコミットするために消費するエネルギーの活用方法には目を光らせていなければならないことをこのWeb3.0×アートの分野に参入してからの約3年間で学びました。
その中でも特に重要だと確信したのは「理想的な選択をとり続けること」です。
理想への道と自己変革
この3年間、妥協的選択をしてきたことが山ほどあります。そのほとんどは、僕にははっきりと見えていることが自分以外が見えないことや見せることができていないことと、原理やコンテキストから違和感を感じられなかったり、あるいは見過ごしてしまっている現場で引き起こされています。
例えば常識に飲み込まれて思考停止している人は、慣例や規定を疑えずあるべき姿や状態やスキームやフローを描けません。物事の本質が捉えられない人は、手段が目的化して自ら無意味という名の檻に入ってインパクトのない仕事を続けてしまいます。会社の利益を本気で追えない人は、ブラックボックスを見過ごして士業や役所やサービサーの言いなりになってしまいます。
本当に幅広い場面であらゆる「妥協」や「盲信」があって、それに流され続けていることが多いわけです。
「妥協の代償」 - 自己欺瞞との対峙
僕の大罪は、自分の可処分時間内で重要度の秤にかけて低く見積もられたそれらを「妥協」し、それが悪玉になって固まりとして襲いかかってくるその瞬間までスルーし続けてしまったことです。そしてこの記事を書き始める直前までそんな自分のままだったことです。
よくよく考えてみれば、原因のほとんどは瞬間瞬間違和感として感じていたことばかりです。その瞬間にちゃんと向き合わせる指示や、徹底した姿勢を示すべきだったなと思っています。
可処分時間がないなら増やせばいい。可処分時間を確保できるような生産性を発揮すればいい。本当にシンプルにそれだけのことで解決します。
「野心の代価」 - 社会への大胆な投資
僕が秤にかけるべきは「この地球を、もっと面白く。」することであって、「嫌な想いをさせないように」「嫌われないように」「仕事が楽しいと思ってもらえるように」妥協をすることでも尻拭いをすることでも我慢することでもありません。
志高く大義にそって自分という機能を社会に投じることです。
僕ならまだまだ変わっていけるし成長できる。
そう信じて、スタートアップのファウンダーとして、ビジョナリーとして、もっと在るべき姿を追及して、そのための選択をし続けられるよう心改めたい。そう在れたら、それが答えのない世界に答えがある現実を手繰り寄せる気がしてならないわけです。
この地球(ほし)を、もっと面白く。
ほいじゃ、また。