インクルージョンとは
私のキャリアを支えてくれた恩人のIさんが亡くなりました。最後にお会いしたのは恐らく恵比寿の寿司屋で、もう5年以上前のことです。
今年の年初にIさんから「教育のデジタル化として未来の子供達に何か残せればなぁ」というFacebookメッセージを受け取り、「一緒に世のためのこと、面白いことをしていきましょう」との言葉に、新しい方とのグループチャットも作っていただいていたところでした。信じがたい知らせが届いたのは、オンラインで久しぶりにお話する予定の3日前でした。
Iさんと初めて会ったのは今から12年前、2012年の大阪堂島にあるオフィスでの採用面談でした。当時の私は大学を卒業してからすぐ9年働いた企業を辞めて家族の海外駐在に同行し、その間3年ほど仕事を離れていました。日本に戻ってから再就職活動を始めたものの、応募した約20社のうち面談にたどり着けたのはわずか3社。その中で、私が最も「そこで働くことはないなあ」と思っていた企業の関西支社長兼営業部長がIさんだったのです。
その企業に対する私のイメージは「ほとんど男性」「新規営業」「高額ハードウェア販売」。同じ業界でも私のそれまでの経験とは全く異なる文化を察知していました。しかも私は3年のブランクのある女性で、子供がいる。関西は地元でもない。偶然以前の会社の先輩がその企業に転職して働いていたので話を聞くと、「まったく違った厳しさ、忙しさだよ」と。採用される見込みは低いだろうと、半ば諦めて話をしていました。しかし、Iさんから驚くべき言葉が。
「〇〇さんのような、子育てしている女性がチームに来てほしいんです」
私は、小さな子供やブランクの存在は働き始めてからもなるべく存在を知られないように仕事をしないといけないと思っていたので、思いがけない展開でした。Iさんは「今の営業部は男性のベテランばかりなので、違う状況の人を入れることで助け合うチームにしたいんですよ」とおっしゃった時のことは今でもまざまざと目に浮かびます。
このように私という存在を承認してくれたIさんのもとで働くことを決めました。新しい製品の理解、新しい地域での新規企業への営業に慣れるには時間がかかりましたが、一人ひとりの良さや特徴を認めてくれるIさんのおかげで自分の中のやる気が引き出されました。「そのままでいいんだよ」と承認されることで自ら頑張れるのです。
それから私は東京に転勤し、さらに転職しましたが、一緒に働くメンバーそれぞれのスタイルや、抱えている心配を理解し、自分から声をかけたり、時には一緒になってタスクを行うことで、よりメンバーの自律的な貢献を引き出すことを実感しました。
私はだんだん当時のIさんの歳に近づいています。Iさんの言葉と行動は、私にとってダイバーシティ&インクルージョンの最も身近な事例であり、今でも私の心に刻まれています。私も誰かの今後の10年、20年に静かな力を残す存在でありたいと思います。