幸せな人
って、どんな人だろう、と思いながら
作業していました。
今日の作業は、ひたすらトマトの
誘引資材を、紐に引っ掛けていく
という
信じられないくらい単純な作業でした。
こういう作業の時は、
ラジオ英会話を
聞き流したりしているんですが
これは聞き流しているばかりで
ほぼ身についていません。
カッコウが鳴いていて、
むしろその声を一生懸命聴いていました。
さて、先日、さびしさについて書いたのですが、
さびしさの中にいるとき、
「私は間違っている」と思って苦しかったのです。
「ほんとうは、さびしくないはずなのに」
と考えていたから。
でも、今日は、
さびしい、かなしい、
そんなネガティヴな気持ちを
正直に感じることができることは、
決して不幸ではないんじゃないかな、
と思いました。
安心して悲しめるか。
その大きな安心があると、
わたしたちは「幸せ」なのかもしれませんね。
なんだか悟った気分になりたいとき、
さびしさ、かなしさ、、、
複雑な感情を
無視しがちですが。
どんなわたしも、ゆるされている
そう思えたらいいな。
カッコウが木から飛び立ち、
ハウスに映った影は
思っていたカッコウの姿より大きかったです。
カッコウの鳴き声は、
今度は背後の林から聞こえてきました。
りょうこ