気づいたらヘルニア手術へ。
ヘルニアの激痛で急遽搬送されたその夜、集中治療室で一夜を過ごす。
集中治療室の看護師さん、タフだなと尊敬する。
集中治療室に行く前
「こんなに痛み止め何種類も点滴しちゃってるのか〜」と主治医。
知らなかった。痛くて悶え耐えられなくて看護師さんを呼んでた認識だけだった。
痛み止めの点滴(薬)は違う種類であれば、時間をそんなに空けなくてもいいらしい。ありがたい。
そういえば水分をずっと取っていなかった。
痛み止めの点滴で頭が正気に戻った私は、看護師さんに自販機でお水を買ってきてもらう。
財布の中には130円と10円以下の小銭しかなかった。
普段私はキャッシュレスなので現金を持たない。
先々のことを考えるよりも、今ここで水が飲めるのだからとりあえず良かった。先のことを考える余裕なんてない。
そうだ、「父と暮せば」のニューヨーク公演の打ち合わせを夜にやるんだった。
看護師さんに了承を得て、集中治療室でニューヨークの方と電話で打ち合わせをする。
日々一瞬一瞬が勝負だった。
余裕がなかった。正直、痛んで悶えている時間ももったいないと思った。
翌朝、1日ぶりにご飯を食べる。
食べるという行為がとても新鮮に感じた。
その日の午前中には一般病棟に移動する。
そして主治医から大まかな説明を受ける。
「ヘルニアで受診する人のほとんどは、薬や坐薬で痛みのコントロールができて歩ける人で、入院せずに家に帰れるんだよ。ヘルニアの基本的な治療方法は保存療法なんだけど、平野さんの場合薬は効かず点滴で痛みのコントロールをしている。右の腸腰筋の筋力が急激に低下している。右脚に感覚鈍麻がある。そのことから手術をする判断基準かもしれない。
土日様子を見て、手術をするかゆっくり考えて欲しい。土日で症状も治ることもあるかもしれないから、月曜日また来ますね。」と。
その日サークル歩行器で歩いてみたが、5mほどしか歩けなかった。
土曜日から月曜日まで、とても時間が長かった。
金曜日に、携わっている映画祭のスタッフの人が歯ブラシや洗面道具を買ってきてくれた。
頼んでいなかった着替えの服も買ってきてくれた。
本当にありがたい。
日曜日には、同じ沿線に住んでいる、即興パフォーマンスユニットのはるかちゃんが、お金をおろしてくれたり、私の家に行ってゴミを出してくれたり、公共料金をコンビニで支払ってくれた。本当に本当にありがたい。
良い友達に恵まれた。
はるかちゃんが私のお家に行ってくれた時、ビデオ通話でやって欲しいことの説明をしていたけど、まぁ、私の部屋が酷い。こんなに荒れ果てていたのか。
余裕がなかったんだな。冷蔵庫の玉ねぎの芽が伸び切っていた。
月曜日、痛みは薬でコントロールできるまで改善したが足の状況は改善されなかった。先生が「そうか〜。」とため息を漏らす。
先生と話をして、手術することになった。