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夕刊の『いわき民報』が朝刊になりまして…

 今月からこれまで「夕刊紙」だったいわき民報が「朝刊紙」になった。わたしは現在、外部ライターとして原稿を卸すという立場だが、かつて社員だったこともあるし、なんだかんだ浅からぬ仲が続いている、そんな感じである。

いわき民報が初めて朝刊になる、と聞いたときは驚いたし、ショックだった。「夕刊」はいわき民報の大切なアイデンティティーの一部だという思いがあったからだ。家庭では子どもたちが学校から帰って来て、夕げの支度が始まるころ。飲食店ではランチ営業が終わり、一息ついたころ。配達員が乗るスーパーカブの音と共に、夕刊紙が投函される――あの感じが1日のちょっとした区切りみたいになっていたし、書き手として普段とりたてて意識はしなくとも、夕方以降のオフタイムに読まれているイメージが脳裏にはいつもあったように思う。

 いまとなっては、ビールを飲みつつ夕刊に目を通し、その勢いで電話をかけてくる(ろれつが回っていない)読者とのやりとりの思い出も、何だか感慨深いものがある。偉い人の不祥事や小さな事件・事故、「高齢者がバナナを万引き」なんて哀愁漂う三面記事もとことん下世話に載せつつ、昭和・平成・令和と3時代にわたっていわきの夕刻風景を彩ってきたいわき民報が、いよいよ朝刊化されて再スタートを切った。
 お客様からの反発もそうとうあったらしく、わたしもたまたま居合わせたときに何本かのクレームの電話に対応したが、「夕刊だから良かったんだよ。他と違うから」の言葉に、全力で「ほんとうにその通りです!わたしもそう思います!」と返すことしかできなかった。厳しい時代の荒波を乗り越えていくために不可避な措置とはいえ、あきらめるにも慣れるにも、少し時間が必要だ。

 朝刊化に向けて諸所動いていたころ、いわき民報の事務所付近ではバッタが大量発生した。毎日おびただしい数のバッタが2階事務所の入り口にまで押し寄せ、ほうきではきだす必要さえあったほどだ。
 昔の人だったら「だれそれの祟りじゃ」などと思ったかもしれないが、社内で働く人はみな健全に「バッタだ」と思い、「それはそれとして」片付けながら、クレームの電話に頭を下げ続けていた。そして、大量発生したバッタは社内外のそこかしこで死んでいた。バッタ、バッタと。。。

 いわき民報の大きな転換期に突如現れたバッタの群れ。この現象の心理的意味付けは、この会社が今後どう進んでいくかで決まってくるのだろう。「やっぱ災いだった」となるか否か。明日が見えない時代である。自然界も荒れていて予想外のことばかりが起こっている。こんな時代だからこそ、1日の終わりにはつかの間の休息を。どうか、その傍らにはいわき民報がありますように。朝届いたらさっと一読してそのあと長く、夕方遅くまで楽しめる記事をマイペースに提供していきたいと思っています。

2024年10月 

#取材記 #コラム #いわき民報 #いわき #バッタの大量発生

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