マッドマックス 怒りのデス・ロード、見つめあう、眼差し。
原題、「Mad Max: Fury Road 」。
前作以来、27年ぶりに製作された「マッドマックス」シリーズの第4作。
映画通の方々に支持されるのもわかる気がする。
壮大な世界観に人物描写や疾走感といい、アクション映画のお手本のような作品だと云われている。
するどい展開で、苦手な痛々しいバイオレンス描写も目をつむったら一瞬、、かも。
で、。
物語、を追いかけたくなる気持ちが勝つのは、少し痛い恋愛に似ていなくもない。
『 心がすり切れるほど
とてつもなく苦しいことに遭遇しても、
可能性、を失わない
見つめあう、眼差しがきっとある
壊れたものを癒しあう
肉体と精神が未来を語る、。 』
涼、。
編集を担当したのはジョージ・ミラー監督の妻、マーガレット・シクセル。
約5カ月に渡っての撮影、そのすべてを観るには3カ月もの時間を要したと、フィルムの総数は480時間にも及んだらしい。
ミラーが撮りためた映像を480時間を費やして精査し、その上で478時間分を切り落とせたのは、編集を担当したのが妻、シクセルだからこそ。
その労苦は報われることになる。
アクション作品としては異例のアカデミー賞作品賞候補となり、最多10部門にノミネートされ、6部門を受賞。
シクセルも編集賞を受賞した。
するどく尖っている感性、。
以前の記事「ダニエル・ダックス 神秘的で創造性豊かな芸術家、」で短い文章にしたことがあった。
無駄を省いていく表現方法は、俳句、歌、詩、絵画、彫刻なんかの芸術分野にも見られる。
無駄をすべて削ぎおとして邪魔なものを排除していく境地も。
と、。
映画、にもそういう成分があるのがわかる作品。
肉体と精神、。
肉体にどれだけめぐまれていようと、絶対的に武器になるのは「勇気」。
男尊女卑みたいな展開をふきとばしてこそ、の観点も。
「マッドマックス 怒りのデス・ロード」。
動画↓。「マッドマックス 怒りのデス・ロード予告編」
生活環境が汚染され、生存者たちは物資と資源を武力で奪い合い、文明社会が壊滅した世界が舞台。
そんななかで独裁社会が築かれている地帯があった。
独裁者を首領とした独特な教義を持つ好戦的な集団の支配のもと、潤沢な地下水(アクア・コーラ)と農作物栽培で人々を牛耳ることで成り立っている。
その地へと捕らわれてしまうところから物語がはじまり、、。
終幕へと至る、、。
哀しい眼差しと眼差しが、見つめあう刹那、。
うなづく、ふたり、、
そのときの表情、、。
そんな余韻、がすごくスキ。
今作からはトム・ハーディが演じるマックス。
過去に救えなかった命の幻覚と幻聴、狂気に侵されているのは世界なのか自分自身であるのか苦悩するたたずまい、、。
生存本能にだけ突き動かされている哀しい眼差しの主人公、、。
強い目的意識が際だっているようには観えない。
それとは対照的な人物が、
強い目的意識が際だっているシャーリーズ・セロン演じる女戦士、フュリオサ。
その名は「激情、情熱」、または「憤怒、激怒」をあらわすとのこと。
短く刈り込んだ頭髪、顔に塗った黒いグリース。
動作も俊敏で銃器の扱いにも長けているが左腕の前腕部から先を欠損しており、金属製義手を装着している。
独裁者が幽閉状態で囲っていた妻たちを戦闘車両に匿い、フュリオサが幼少時代を過ごした故郷「緑の地」へ運ぼうとする。
動画↓。「マッドマックス 怒りのデス・ロード シャーリーズ・セロン インタビュー」
痛々しいけれど
血液、がまじりあう場面もある。
ふたりの意識はそれで
深く結びついたのだと感じた。
距離や時間さえも関係なく
肉体と精神、が語りあいつづける
汚れた世界で
生きていくってことは、、
そういうことなのかも、と。
哀しい眼差しと眼差しが、見つめあう、
逃れるために荒廃した地へと、あてのない旅に向かおうとするとき。
逃げるのではなく、向かっていくことを、、
独裁者を除いてこそ生きていける可能性、その提案をする場面も、スキ。
絶対的に武器になるのは、
生きるための「勇気」。