読書録:京都の御所と離宮③桂離宮
こんにちは。
本の読み方を少し変えて、7冊めの読書録です。
これまでの私は読書に対して、こんな厳しさを自分に課していました。
本は著者の思考が完全にインストールされるまで読む
それが出来なかったら本を読んだとは言えない
中途半端に読んだ本を語ってはいけない
この重い考え方を手放したら、本を読むことへのハードルが下がりました。
本のページをめくって、印象に残る言葉に出会えたら本を読んだことと見なす
本を読むときは、できるだけメモに残す
似たような考えの方に響いてくれたらいいなと思い記事を書いています。
京都の御所と離宮③桂離宮
来週、桂離宮に行くので予習の意味も兼ねて読んでみました。
そもそも、桂離宮って何?
誰がなんのために作ったの?
なんでこんなに心惹かれる響きがあるの?
こんな問を持ちながら読んでみました。
もともと桂(京都市西部)は、源氏物語にも「月が美しいところ」として登場していました。
江戸時代初期、当時の宮家の一つであった八条宮家の智仁親王という方が
平安朝の雅な世界に思いを馳せて、できるだけ再現するように作った別荘が桂離宮です。
智仁親王は、若い時は波乱の人生を送った方です。
最初はその才能を見込まれて豊臣秀吉の猶子(ゆうし:財産の相続を目的としない親子関係)になったそうですが、秀吉に鶴松が誕生するとその親子関係は解消(!)されました。
その後、譲位の話もあったのですが徳川家康の反対(!)で譲位もできず。
すごいな、こんな人生を送っていた人がいたんですね。
そして智仁親王は、書や茶、和歌、古典文芸などに精通した文化人としての道を歩み始めました。
古き時代に思いを馳せる
このエピソードを知って思ったことは
ヨーロッパのルネサンスと似てない?
ルネサンスも、中世の大航海時代、宗教改革が多く行われていた時代、人々の発想が自由になり、
古代ギリシャやローマの時代ってすごいよね。もう一度復興させよう!
として起こった文化復興だったと思います。
(すみませんざっくりとした歴史観です。)
同じように智仁親王も文化人として成長するうちに
平安朝の時代ってやっぱいいよね。平安朝をできるだけ再現した別荘を作ろう!
と、思ったかもしれないと妄想します。
そう考えると、今も豊かな発想ができる時代、何かの復興が起こるのでしょうか。
月を見るための場所
桂離宮は、「月を見るための場所」として造営されました。月を見るための「月見台」や月の光を取り入れる丸窓、月の姿を映すための池など、多くの「月を楽しむ仕掛け」がしてあります。
月に人間が合わせていく・・とてもロマンを感じます。当時設計などの仕事にあたった人たちは
「いや、満月のときにはあのへんに月が来るのが一番キレイやって!」
「ちゃう、三日月のときはこの角度から見ると屋根の形とかいっぺんに目に入ってきれいやって!だから月見台はここ!」
(全部、妄想です)
こんな会話をわちゃわちゃとやりながら形を作っていったんでしょうか。
本には、桂離宮の美しい写真もたくさん載っているのですが、著作権のことなどが詳しくわからないので、写真の転載は控えます。
来週、自分で取った写真を載せて、またお話させてください。
タイトル写真はdelpyq様の写真をつかわせていただきました。
ありがとうございます。
高床になっているでしょ。
すぐ近くに桂川という大きな川が流れているので、洪水の影響を受けないために、高床になっているんです。