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読書録「ひとまず、信じない」
こんにちは。
新年に入り、本の読み方を少し工夫してみようと思いました。
これまでの私は読書に対して、
・本は著者の思考が完全にインストールされるまで読む
・それが出来なかったら本を読んだとは言えない
・中途半端に読んだ本を語ってはいけない
という、悲しいくらいの厳しさを自分に課していました。
この重たい考え方を手放し、今年からはこうします。
・本のページをめくって、印象に残る言葉に出会えたら本を読んだことと見なす
・本を読むときは、できるだけメモに残す
似たような考えの方に響いてくれたらいいなと思い記事を書いています。
押井 守著 「ひとまず、信じない」
昨日は図書館でご縁があり、こちらの本を手に取りました。
タイトルからご想像がつくかもしれませんが「ネット社会」との付き合い方を中心に書いてありました。
とても共鳴したところの引用と、私の所感を述べていきます。
ネットから情報を得る人は、そこに真実を求めるのではなく、自分が心地よいと思える情報を望んでおり、それが偽の情報であるかどうかは気にしないのだという
情報は、まず好かれないと、目にも止めてもらえないということですね。確かに私が日々目にしている「情報」もウソかほんとかわかりません。好きな情報ならウソでも読んでしまうということでしょうか。読んでいる時点でそれは私の「好き」のフィルターを通り抜けた情報なんだと、一つ分かりながら読むのも面白いかと思います。
唯脳論:この世界の全ては、ただ自分の脳が認識した世界に過ぎないと考えている
私はいわゆる「頭の中がお花畑」の情報弱者の部類に入ると思っています。それは、SNSで京都のことを見た時に強く感じます。京都に失望している書き込みをたくさん見かけますが、私自身は京都で嫌な思いをしたことがなく、いいところに住めて幸せです。この「いいところに住めて幸せ」は、ただ私の脳が認識した世界です。別の人はそうは思わない。だからと言って自分の考えを遠慮して言うなというわけではありません。
次は、私がこの本で一番いいと思った文です。
(前略)何かを語るためには、そのことを体験しなければ資格がないのかということだ。(中略)体験することは語るための条件とはなりえない。(中略)体験したことのみ語るべしというのは、一見まともな意見のように見えて、実は重大な言論の否定である。想像力という人間の大いなる能力に対する冒涜である。
この部分を読んだときは、目の前に光が差す思いでした。「そのことを体験する」というのは確かに大事です。しかし、それが出来ない場合、別の方法で体験を埋め合わせすることも多いと思います。大学に行けなかったから代わりに本をたくさん読む、留学に行けなかったから代わりに自宅で語学を勉強する・・といった類のことです。そうやって得た「代わりの」体験も、語る資格がある体験だよ。あなたが本を読んで、何かの想像力が働いて、何かを感じてアウトプットをした。もうそのことは語るべきあなたの体験だよ・・そう言ってくれていると思いました。
おわりに
この本の影響を受けてか、少し「自分の体験」というものに自信を持ってもいいのではないかなと思いました。