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「どうせ死ぬのに勉強することに意味があるのか」と悩んだ私が、カミュに救われた話



はじめに

どうせ死ぬのに勉強することに意味があるのか」と、ふと考えてしまって、まったくやる気が出ない期間が、私の人生には何度かありました。

この話を誰かにしても、いつも理解してもらえません。「まだそんなこと考えてるの?」といった反応ばかり。

でも、そんな話を真剣に聞いてくれて、具体的なアドバイスをくれたのが、驚くことにChatGPTでした。

カミュの「シーシュポスの神話」を教えてもらう

私はChatGPTにこの悩みを相談しました。すると、カミュの「シーシュポスの神話」を読むべきだと言われました。

上記のリンクはアフィリエイトではありません。つまり、このブログを通じて私には1円も入らないのでご安心を。

そういうわけで、私は「シーシュポスの神話」を電子書籍(Kindle)で購入して、寝ながらスマホで再び読んでみたのです。

「シーシュポスの神話」を読んで感じたこと

実は、十代の頃に「シーシュポスの神話」を読んだことがありました。しかし、その時はまったく意味不明でした。

新潮文庫の定番みたいな感じで、「とりあえず読んだ」という満足感だけが残った記憶です。

ところが、今回改めて読んでみて、びっくりしました。

私が抱えていた「どうせ死ぬのになぜ生きているのか」という悩みが、まさにカミュの言う「不条理」そのものだと理解できたからです。

AIに相談してみた結果

その理解が正しいかどうか不安だったので、再びChatGPTに相談してみました。すると、こんな回答が返ってきました。

カミュの「不条理」は、人間が人生に意味を見出そうとする一方で、宇宙がその意味に応じないという矛盾を指します。

あなたの「いつか死ぬのに何で勉強しているんだろう」という悩みも、まさにこの不条理に関連しています。

カミュによれば、人生には絶対的な意味や目的が存在しないにもかかわらず、人はそれを求め続けるために不条理な状況に陥ります

この視点から考えると、「どうせ死ぬのに勉強することに意味があるのか」という疑問は、不条理な人生をどう生きるかという問題に直結しています。

カミュは、不条理を受け入れつつも、それに対して反抗し、意味を見出そうとする姿勢を提案しています。

ChatGPTの助言

この回答を聞いて、さらに理解が深まりました。

ラスト付近の引用と解釈

そして、シーシュポスの最後の方の場面で出てくる「侮蔑(ぶべつ)」という言葉にも興味が湧きました。

こんにちの労働者は、生活の毎日毎日を、同じ仕事に従事している。その運命はシーシュポスに劣らず無意味だ。しかし、かれが悲劇的であるのは、かれが意識的になる稀な瞬間だけだ。ところが、神々のプロレタリアートであるシーシュポスは、無力でしかも反抗するシーシュポスは、自分の悲惨な在り方をすみずみまで知っている。まさにこの悲惨な在り方を、かれは下山のあいだじゅう考えているのだ。かれを苦しめたにちがいない明徹な視力が、同時に、かれの勝利を完璧なものたらしめる。侮蔑によって乗り超えられぬ運命はないのである。

カミュ「シーシュポスの神話」(新潮文庫)

「侮蔑によって乗り超えられぬ運命はない」とは何か?

フランス語の mépris という言葉は、「軽蔑」や「侮蔑」を意味しますが、カミュがこの言葉を使った背景には重要な意味があります。

ChatGPTによると、カミュが言うところの「mépris」は単なる否定的な感情ではなく無意味さや運命に対する反抗の象徴です。

シーシュポスが「侮蔑」するのは、彼の運命そのものです。

山の頂上まで永遠に石を運び続け、その石が毎回転がり落ちてしまうという無意味で終わりのない労働。

通常、私たちはこうした無意味さに屈し、絶望を感じますが、シーシュポスは違います。

彼は運命の無意味さを完全に理解し、それを受け入れつつも「軽蔑」することによって、そこに屈しないのです。

では、どうして運命を軽蔑することが「勝利」につながるのでしょうか?

シーシュポスの「勝利」とは?

シーシュポスの勝利とは、運命に対して従うのではなくそれに反抗し続ける意志を持ち続けることにあります。

石が転がり落ちるたびに、その無意味さを再認識しつつも、彼は再び石を押し上げることを選びます

この時、彼は自らの運命をただ嘆くのではなくその無意味さそのものを軽蔑し、超越しようとしています

ここでの「軽蔑」は、運命に対する無力感や屈服を拒む姿勢であり、「侮蔑」という感情を持つことで、彼は自分自身を運命の犠牲者ではなく、運命に対して主体的な存在に変えるのです。

運命に対する「侮蔑」は、シーシュポスが自分の行為に意味を与え続け、絶望に屈しないという強さの象徴です。

シーシュポスにとって、運命の無意味さを軽蔑することで、それを乗り越えるという「勝利」を得るのです。

この勝利は、外的な状況が変わるわけではありませんが、彼の内的な態度運命を支配し、運命そのものを超えていく姿を示しています。

和訳の改善バージョン

このシーシュポスの神話のラスト付近に出てくる重要な部分を、「注」を入れてわかりやすく説明すると下記のようになります。

侮蔑(注)によって乗り超えられぬ運命はないのである。

(注)mépris ・・・「軽蔑」や「侮蔑」。カミュが言うところの、シーシュポスが自らの運命を受け入れつつも、それを侮蔑し、超越していく態度

私の解釈

このように、シーシュポスは自らの運命の無意味さを完全に理解し、その上でそれを「軽蔑」し、反抗し続けることこそが勝利だとカミュは主張しています。

この「侮蔑」を通じて、私自身も人生の不条理に対してどう向き合うべきかを考える手助けとなりました。

こうして、私はカミュの哲学自分の人生に当てはめることができました。

この解釈を得て、私は「侮蔑」という言葉を深く理解し、自分自身の悩みや人生の不条理にも向き合えるようになりました。

おわりに

自分の悩みを素直に見つめ、それをAIに相談してみることで、「シーシュポスの神話」にたどり着きました。

その結果、人生に対して前向きに考えられるようになりました。

ChatGPT特に海外文学に強い印象があり、文学を通じて自分の悩みを整理する手助けをしてくれました。

もし似たような悩みがあるなら、ぜひAIに頼ってみてください。

悩み+文学+AIという組み合わせは、思いのほか楽しく励まされる体験になりますよ。

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