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「共感を掴む文章」について
こんにちは、ないとうさんです。
先日、別の記事で「理解・納得・共感」についての記事を書きました。
書いているとけっこうなボリュームになりましたが、それでもまだ足りていない部分をこの記事で補足します。
今回は「共感」について、もっと深く考えていきます。
みんな共感、共感って言うけれど、共感って何なの?必要なの?
共感してもらって、その先でどうしていけばいいのか?
などをライター歴7年のおじさんが好き勝手に語りたいと思います。
特に「文章でお金を稼ぎたい」と考えている場合には必須で、収益化に直結する内容になると思います。
共感とはなんなん
「共感」とは何なのでしょうか。
言わば「仲間意識」や「愛着」や「好き」を含むような、その気持ちのことを一般的に指していますね。
好きなタレント、好きな音楽、好きなブランド、好きな商品・・・
我々が何かを好きになるのは、そこに「共感」というものを抱くからこそでしょう。
そして、ブロガーやライターとして何らかの記事を書く以上、そのコンテンツによって読者に「共感」を抱いてもらう重要性はとても高いです。
アドセンスだろうとアフィリエイトだろうと、キーポイントは「記事をたくさん見てもらって、長い時間滞在してもらう」ことです。
長く、たくさん読んでもらい、コンテンツを消費してもらう。言い換えると「ファン」になってもらうことでより多く稼ぐことができるというのがWeb上における収益化の鉄則です。
そうなった時に、やはり発信内容に「共感」してもらわないといけません。
よくある「共感の掴み方」
具体的にいかにして共感を勝ち得ていくか?をこれから解説していきますが・・・
その前に、一般的に言われているようなレベルでの「共感の掴み方」を説明しておきます。
そこそこの「共感」を呼び込むためには、以下のような言い回しをよく使いましょう、だなんて言われています。
・もしかしてあなたはこんな〇〇でお悩みではありませんか?
・〜なのは、あなたが悪いのではありません。原因は、〇〇にあるのです。
・〜私もかつてはそうでした。
特にセールスレターでよく見かけますし、コピーライターはよく使います。
もちろん、上記のようにあまりにもチープすぎる表現では少し物足りないですが、セールスを心得ているライターは、形を変えてこのような要素を存分に含ませています。
ちなみにこの時のポイントは、
仲間意識を作る
悪いのはあなたではなく「外的な何か」のせいにする
「あちら側」と「こちら側」を作る
です。
これは「カルト」を形成する際に論じられる技法ですが、多くのコミュニティビジネスなどでも、よくこうした論法で仲間を集めているのではないでしょうか。
要するに、読み手に「そうそう、そうなんだよ!」とダイレクトに感じてもらう。これで「共感」を掴めるんです、と。
一般的な「共感を掴む文章術」とは、このくらいの意味で使っているかもしれません。
ただ、後述しますが、このレベルですと、共感というよりは「同情」に近い仲間も集まってしまいやすくなります。
その辺は力量によりますし、確かに使い勝手の良い言い回しではありますが、今回お伝えしたい、本質的な共感とはまた性質が異なっているかもしれません。
より本質的な共感
一般的な「共感の掴み方」を一通り説明しました。
では、どうすれば、より本質的に共感してもらえるか?
超わかりやすく言えば、
「好きになってもらうこと」
これに尽きます。
当たり前のことすぎますが、これが前提。
しかし、人間が何かを「好きになる」というアルゴリズムを精密に解明することはできません。
人間はどこまで行っても非合理的な存在ですから、「なんとなく好き」「よくわからないけれど共感する」というような、人間的な〝揺らぎ〟がそこにはあります。
とはいえ、書き手側としてはある程度は狙って「共感」を勝ち取る必要がある。
そのために、前回の記事では「共感されるための要素」として3つを挙げてみました。
理念や志が含まれているかどうか
その理想は「世界-相手-自分」が全て繋がっているか
「よくわからないけどなんか好き」かどうか
「3」については、つい先ほど前述した通り。
結局、感覚的に「好き」と感じてもらえればいいのです。
「3」はその前提で置いておき、「1」と「2」こそがとても大切です。
つまりは、その活動や発信に理念や志があるかどうか?
そこには全人類の幸せに繋がるような崇高な理想はあるか?
実はこれが共感で最も重要です。
残念ながら理念なんてなくも世間では共感される
ただ、お気づきかもしれませんが、崇高な理念などないコンテンツであっても、実は大いに共感されたりもします。
ただテキトーに騒いだり、おもちゃで遊んでるだけのエンターテイメント的なYouTuberの多くが超ヒットしているように、残念ながら、理念なんかなくたって世間ではウケてしまうものなのです。
たとえばこの前、チャンネル登録者数200万人を越えるレベルの某YouTuberの動画をふと見てみました。どうやら中高生が好きそうなエンタメ系YouTuberです。
「なぜこのチャンネルがこんなにウケているのか?」と気になって動画をいくつか見たのですが、感想としては、まあ、個人的には超絶つまらない。
そのYoutubeは、仲間内でドッキリやらの企画を仕掛けて、家やモノを壊してゲラゲラ遊んでいるような内容ですが、笑うシーンが一箇所も見当たらないのです。
「自分の感覚がおかしいのか?」と思うくらいつまらないのですが、それでもそのチャンネルは驚くほど世間にヒットしています。
さらに気になって「〇〇 何が面白い」などのキーワードでネットを検索してみると、どうやら彼らのファンからすれば、彼らの仲間内のやりとりやリアクションがとにかく面白いのだそう。
しかし、世代の違いもあるでしょうが、個人的には一向に共感できませんでした。(たとえ僕が中学生だったとすれば、まあ同級生達でこのチャンネルを好きな奴はいるかな…程度の、精神的にもやや幼稚な、品性に欠ける気がするチャンネルです。)
世間の多くの人は、彼らに一定の「共感」のようなものを抱いて、貴重な時間を彼らのYouTube動画にせっせと消費しているわけです。
ただ、いくら優しい目線で見ても、彼らのようなYouTubeコンテンツがいくら世間に広まったとて、世界は一向によくなるとは到底思えません。
企業が精魂込めて作った商品を、ただ壊して遊ぶ。そんな動画を見て「面白い」と感じる品性にも危機感を覚えますが、現実問題、世間で〝ウケやすい〟のは、そういった「どこを目指すつもりもない消費されるだけのエンターテイメント」なのです。
でもせっかくなら世の中が良くなるような文章を書きたいよね
どうやら若者の未来を嘆くおじいちゃんのような様相を呈してきました。
ただそれでもせめて、文章を書ける人、発信する側の人間は、その能力を1ミリでも「世の中がきっと良くなるため」に使ってほしいと願っています。
エンターテインメントなコンテンツの全てが悪いわけではありません。僕だってたまにはくだらないYouTubeも見てしまいますし、一人で酒を飲み、くだらない時間を消費することだってあります。
ただ、何かを発信する立場の人は、1ミリでも構いません。「世界が、日本がよくなりますように」と心を込めて言葉を放ってほしいのです。それが、発信する人の責務だとさえ思います。
現代人は、物質的に十分すぎるほど満たされているので、基本的に「ヒマつぶし」に自らを消費します。
しかし、ヒマを埋めるためだけのエンターテインメントに時間を費やしてばかりでいいのでしょうか?
何か、一つでも学びや気づき、本質的なよろこびを提供しようではないかと。
そんな気概を持つ仲間と本当の意味で「共感」したいと思って、僕もまた、こうして誰が読むともない記事を書いて、きっと読んでくれたら、その人の発信のエネルギーになってもらえるかな、と思っているわけです。
ニセモノの共感
「自分のコンテンツに時間を消費してもらう」ことは大事ですが、〝ニセモノの共感〟ではいけません。
前述の通り、ニセモノの共感とは、つまり、理念も志もなく、それが世界のためになっていないようなもの。
こんなレベルの低い共感でも十分以上に収益化できるのが、現代社会の困ったところでもあるのです。
先ほど例に挙げたような巷のエンターテイメントの他にも、たとえば僕の好きな漫画「行け!稲中卓球部」では、モテない主人公2人が幸せそうなカップルに対して妨害行為をはたらく「ラブコメ死ね死ね団」というものを結成していました。
![](https://assets.st-note.com/img/1652151818538-qkeUqjHZMB.png)
カップルが良いムードになった時に颯爽と現れ、邪魔をして立ち去っていくのです。(なぜ、今このタイミングで僕の脳内に稲中が思い浮かんだかは一切不明ですが)
「死ね死ね団」の2人は、「共感」の下にこのチームを結成したのでしょうか?
もしそうなら、それはあまりにもレベルの低い共感だと言えます。
それは「同情」に近い、傷の舐め合いのようなものです。
決して、目の前の相手や、その先の人類みんなの幸せが含まれていない。
これを「共感」と呼ぶにはあまりに程度が低いのです。
本当の共感とは
本当の共感とは、もっと〝あたたかいもの〟です。
いきなりそんな感覚的なことを・・・と思われるかもしれませんが、そのコンテンツを見聞きして、「心の温度がグッと高まるかどうか」は、案外、大切な感覚です。
言葉で表現するには限界がありますが、きっと誰しもが感じたことがあるはずです。
心があたたかくなり、居心地が良く、まるで本来の自分に戻ったような、そんな感覚。
「魂が熱くなる」とも言えます。
たとえば「塩こしょうの粒の数を数えてみました」「〇〇を100個食べてみた」的なエンタメ企画で、果たして我々日本人の魂は熱く、燃えるのでしょうか?
本当に共感されるコンテンツを生み出すためには、自分自身がコンテンツを作る際に、そのあたたかみを、真剣に心に留めようとして制作するのが一番です。
文章を書く時に、心を込める。
これだけです、これがきっと極意だし、本当に素晴らしいライターは---ライターに限らず全ての制作者は---必ず目の前の文章に心や魂や、命のようなものを込めているのです。
また今日も取り留めのないことを好きなようにたくさん書いてしまいました。
共感を掴もう、だなんて考えず、ただ目の前のことに心を込める。
言葉にすると何ともありきたりな気がしますが、素晴らしい書き手ほど、例外なく、みなさんこうしてものを書いています。
あくまで個人的な「YouTuberって本当につまらないよな」という愚痴を込めて、今日は共感について書いてみました。
それではさようなら!