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ポール・セザンヌ / メトロポリタン美術館
おじいちゃんのコート
古着屋で買ったツイードのコートをよく着ている。1950年代のものらしい。修理しながら着ているから、ところどころツギハギや引きつれがある。一度など、背中に大きな穴があいた。元々高価なものでもないが、毛布のように分厚くて重い、その古くささが好きなのだ。
妻には「おじいちゃんのコート」と呼ばれている。私は早くおじいちゃんになりたいのかもしれない。喫茶店に朝から晩までいて、図書館をひやかし、新しいものを買わず、毎日ほとんど同じものを食べているおじいちゃん。なかなか悪くないような気もする。
おじいちゃんのコートにはかなわないが、私の身体もそろそろ古着になりかかっている年頃だ。とくに悪いところもないが、さすがに新品とはいえないだろう。ツギハギも引きつれもある。いくつか交換したい部品もあるが、不具合もふくめてわが身体というしかない。
この頃、ようやく人間らしくなってきたと思うこともある。十代や二十代の頃はつねに発熱しているような状態だった。尖っていたし、あちこち飛び出していた。鼻持ちならない、扱いにくい若者だった。今ようやく疲れを知り、他人の欲望と自分の欲望の区別をつけられるようになり、平熱になってきたと思う。
老いというより、成熟とよびたいところだが、どうだろう。たんに、ひとり合点がうまくなっただけかもしれぬ。扶養家族がいれば、悟ったようなことは言っておられず、まだがむしゃらに働かなければいけない年齢でもある。
おじいちゃんのコートのような風合いはまだ出せず、ただ目の下のクマが深くなったくらいが現実関の山である。ようやく平熱になったと思っていたら、まだまだ突然発熱もする。仕方がない、もう少し着てみるか。それで変化をみてみよう。
テーマ:老(文字数:716)
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