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たったの9年間

《7/17金曜》
ひさしぶりに手塚治虫『アドルフに告ぐ』をパラパラめくっていた。ミステリ要素や物語展開といった話の筋を覚えていたこともあり、子供の頃に読んだ時とは違って、章ごとに挿入されている年表に目がいき読みこんでしまう。物語の主要な舞台となる時代の速度感にゾッとする。生活・暮らし・日常を取り巻く世界があっという間に変わってしまう速度の恐ろしさ。

プロローグに続き、1936年8月ベルリンオリンピックでの「前畑がんばれ」から物語は動き出す。二・二六事件が勃発した年で、7月に次期オリンピックの開催都市が東京と決定(2年後に返上)、歴史番組やスポーツドキュメンタリーなどで多くのひとが耳にしたことがあるだろう有名な実況音声「前畑がんばれ」から日本が焼け野原になるまでたったの9年間だ。

この日記を書いている2020年から9年前というと、2011年東日本大震災の年。つい最近の出来事だ。『アドルフに告ぐ』 冒頭の前年1935年9月に人類史に残る最悪の法律のひとつニュルンベルク法が制定、そこからベルリンが廃墟になるまでは9年と7ヶ月。

読み返すまですっかり忘れていたけれど、『アドルフに告ぐ』は手塚の〝青春の象徴である神戸の街を舞台にしたい〟〝戦前から戦中の関西、特に空襲下の関西はあまり本にかかれていない〟というアイディアが先にありきで、まずは神戸の空襲、そこにヒットラーとゾルゲを後から足した三題噺だ。物語中核をなす謎は、自身の思い出話だけでは〝どうも薄味〟だからと付け足した要素だという。まったく(まったくもう!)今更ながら物凄い作家だ。

〝今の子ども達は、第二次世界大戦も、日露戦争も関ヶ原の戦いも、歴史の同じレベルでとらえているんですよ。でも、僕にとっては歴史じゃなく現実だった。戦争の語り部が年々減っていくので僕なりに、漫画で伝えて、ケリをつけたかったんですよ〉(1986年3月13日号 女性セブン「著者インタビュー」)〟

(以上〝〟内は手塚治虫漫画全集 376 『アドルフに告ぐ』5巻(講談社)巻末に収録された「あとがきにかえて」より)

《7/18土曜》
昨日、『アドルフに告ぐ』のことを書いた。手塚本人は戦争末期に〝大阪は淀川の川べり〟にある軍需工場で空襲にあったとエッセイで書いている。昭和20(1945)年の大阪大空襲だ。場所と時期からいって、6/7の第3回大阪大空襲6/15の第4回大阪大空襲のどちらかではないかと思ったが、本人は3月と書いているので3/13の第1回大阪大空襲だろうか。

みんな命からがら淀川の堤防に向かって逃げています。私も逃げました。
 堤防には、付近の民家からも大勢の人が避難しておりました。淀川大橋というのがあって、一部の人々はその橋の下へ逃げこんだのですが、その橋はB29のいい目標になりました。
 そこをめがけて、爆弾が数発落ちてきました。直撃をくらって五つか六つ大きな穴があいて、おとなや子どもの胴体や手足がバラバラにとびちりました。遺体は、みんなまっ黒焦げの塊でした。
 急にビフテキのような匂いがしてきましたが、それは牛が死んで焦げているのでした。当時、淀川の堤防で牛を放し飼いしている農家があったんです。
 大阪のほうの空を見ますと地獄の炎とでもいいますか、空一面がどす黒い赤色で、世界の終わりがきたような感じでした。(中略)私の作品、「アドルフに告ぐ」だけでなく、ほとんどの作品に描かれておりますテーマには、この悪夢のような記憶を、無意識に描いているものが多いのです。それは、ちょうど語り部のように、自分の体験を子どもたちに語って聞かせたい。そういう気持ちが動いているのでしょう。

講談社版手塚治虫漫画全集『手塚治虫講演集』「未来へのファンタジー」より

当時16歳の手塚少年が空襲を見たであろう場所のあたりまで、子を連れて出かける途中に寄ってきた。手塚治虫が〝子どもたちに語って聞かせたい〟というのなら、私は子を連れてここに来よう、と思った。

手塚治虫が働かされた軍需工事、そして空襲にあった場所の詳細な地名は不明だが、文章からすると淀川右岸(北側)、東は十三大橋から西は淀川大橋のあいだあたりだろう。

マクドナルドに寄ってハッピーセットを買い、近くの公園で子に昼飯を食べさせたあとに、「旧制北野中学校本館西壁」(現・北野高校)へ向かった。大阪市に残る戦争遺跡のひとつで、1945年7月に機銃掃射を受けた跡が保存されており、学校敷地内に入らずとも横の道からその姿を見ることができる。この学校では空襲で9名の生徒が亡くなり、そのうち2名は「学校防衛」という名の消化活動にかりだされている最中に焼夷弾の直撃を受けた。

ここは手塚治虫の母校で、この年の3月に戦時中の修業年限短縮で卒業。勤労奉仕中に前述した空襲に見舞われている。

(マンガのコマ画像は手塚治虫の自伝的作品『紙の砦』(Kindle版/手塚プロダクション刊)より引用)

もしいつか私の子がこの日記を読むことがあったなら、それは『アドルフに告ぐ』を読む前だろうか読んだ後だろうか。その頃に本書が発禁になっていない世の中であることを祈る。今日の昼間にねだって食べたハッピーセットで出たこのオモチャを覚えているかい?

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