『じょうずなワニのつかまえ方』だったように思う。

 書店にサブカルチャーと銘打たれた棚がまだなかった頃、そこに並んでいた本に関して、ばるぼらさんがnoteに書いていた。それで急に思い出した。

 知識欲でもなく、読書時間の娯楽を欲しているわけでもなく、何かの参考書でもなく、目的意識をさほど強くは持たず、「なんだかわからんがこれを買うのは面白いだろう」と捉えどころのない感覚で初めて手に入れた本は、私の場合『じょうずなワニのつかまえ方』(主婦の友社)だったように思う。発行が86年だから『VOW』('87〜)より先に買っている。後に文庫版や21世紀版も出版された。私が手に入れたのは最初に出た邦訳、大型本の初版だった。

 書評やPOPで関心を持ったわけではなく、書店で見かけた派手なピンクの表紙に惹かれた。私が子供時代を過ごした小さなまちの本屋で売っていたのが不思議だが、いまネットで画像検索をすると帯には「無用の知識 オモシロくってダメになる 新人類の間で超過激人気 買った人だけ、おもしろい 究極のベストセラー」とある。そんな帯がついていた記憶はないが、当時は相当に売れていた話題の本といった扱いだったのだろうか。私にはそういう情報のツテが無く、買う本のほとんどすべてを本屋や図書館で実際にページをめくって決めていた。レジに持ってゆくのに「こんな本を買うのは、このまちでおれだけだろう」などと感じた。私の財布的には、思いつきで買うほど安価な本ではなかったはずだ。新聞配達をしていたのでそれなりに本代の手持ちはあったが、それでも「役に立たない」本にその金額を払うには「このまちでおれだけだろう」くらいの気分は必要だった。何か特定のジャンルに突出しているわけでもないごく一般的な小型の新刊書店でも、まだそういった出会い頭の事故のような出来事があった。今でもなくはないだろうけれど、近隣の小型書店を見る限りでは、ネットで話題の本は置いてあっても正体不明の本は随分と減ったように感じる。


 その頃の私には写植や書体という観点がなくて、書体見本帳としての役割などは意識しておらず、役に立たない(であろう)知識ばかり載っているのが楽しくて仕方がなかった。得意顔で学校に持っていってクラスメイトたちに見せた。興味を持ってくれた子もいたし、「なにこれ?高くない!?」と何がおもしろいのかさっぱりわからないという反応の子もいた。ひとによってページをめくったときの反応が様々なのが、本の存在それ自体と同じくらいに楽しかった。そして「役に立たない」知識という体裁の本を読んで、初めて「役に立たせる」ために本を読むという価値観の存在を意識したように思う。それまで役に立つ/立たないといった観点で読書を考えたことがなかった。


 『じょうずなワニのつかまえ方』は、いまではモリサワのサイトで再編集されたweb版が読める(ただしUIがスマートフォン向けではない)。

モリサワ『「じょうずなワニのつかまえ方」とは』

https://www.morisawa.co.jp/culture/crocodile/

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