サザンオールスターズ
次のマガジンどうしようかな。日記なのか随筆なのかSNS代わりなのか。思いついたことや、ある程度の長文を書いておく場は必要だ。
毎日々々、家の中や子のことでやらなあかんものが山積みでどこにも遊びに行かれへんし誰かと会う約束もなかなかできない。それでも書き残しておきたいことが次々と頭に浮かぶ。別に何か特別なことが起こったわけでもないし特殊な場所に行ったわけでもないし珍しいものを食べたわけでもないが、どうにも書きたいことが多すぎて、だがしかし書ける時間が足りなさ過ぎる。心に浮かんでゆく文章を吐き出して(掃き出して)おかないと、どうにも調子がおかしくなってしまう。それはゴミを捨てずホコリを吸い込んだまま使っている掃除機かのように。きちんとカパッと蓋を開け中に溜まったゴミを捨てないと、目の詰まったフィルターを掃除しないと、次にたくさん吸い込んだときモーターに負荷がかかって焼けてしまうよう。
そうやって日々、思いついている事柄のひとつだった。一昨日の晩に、サザンオールスターズは性的な歌が多いな、恋愛感情よりもむしろ性交や情欲についての言葉のほうが多いのではないのかと。
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サザンオールスターズの凄いところは、もちろん桑田佳祐のボーカルや言葉のチョイスやメロディへのリリックの添わせかたも破格なのだけれど、「ザ・ベストテン」や「夜のヒットスタジオ」や「紅白歌合戦」に出るようなバンドが、デビュー時からビッグネームに至ってまで、正面きって〈性欲〉(または射精)をテーマにし続けたことだと思うのだ。
挙げてゆけばきりがない。ムード歌謡などの大人の恋のイメージを追うだとかジョークとしてのエロネタや艶歌というよりも、自分たちの楽曲がロックンロールであること/ソウルミュージックたること/への渇望・爆発力として〈性欲〉を歌詞に織り交ぜることへのオブセッションに、ある時期までの桑田佳祐は、とり憑かれているように思う。
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最近のホストも店外デートのカラオケでサザン『シュラバ★ラ★バンバ』の「そりゃ大好きなERIKO☆ERIKO」のERIKOを客の名前にして歌ったりしてるのだろか。これほど性的な歌詞が多い楽曲を奏でるバンドがアングラやカルトではなく、老若男女に愛されるポップミュージックとして、ニコニコとした人々でスタジアムが埋まったり、ドライブミュージックやリゾート音楽として受容されているのは不思議だ。
自分は9th『Southern All Stars』までのアルバムは08年紙ジャケリマスター盤で買い直していて、特に最初の2枚は別物の音だ。全て初CD化の盤と聴き比べたが、各楽器の音の分離が良い。(ただし『KAMAKURA』はそれほど劇的な音質の変化はなかった記憶がある)
自分がサザンで好きな楽曲はパッと思いついた順に並べるとこんな感じだろうか。
「C調言葉に御用心」
「思い過ごしも恋のうち」シングル盤バージョン(アルバムやベスト盤収録版より性急さがいい)
上記二曲は別格として、以下順不同。
「Bye Bye My Love (U are the one)」
「青い空の心 (No me! More no!)」
「当って砕けろ」
「女流詩人の哀歌」
「ラチエン通りのシスター」
「YOU」
「さよならベイビー」(キリンジ「愛のCoda」のイントロとネタ元が同じだと思うけれどなんだろう)
「夕方 Hold On Me」
「涙のキッス」
「雨上がりにもう一度キスをして」
「LOVE AFFAIR 〜秘密のデート」
「BOHBO No.5」
「汚れた台所」
「ゆけ!!力道山」
「世界の屋根を撃つ雨のリズム」
「恋人は南風」
「DIRTY OLD MAN 〜さらば夏よ〜」
番外
「シャ・ラ・ラ」(つじあやの・奥田民生によるカバー)
「First Love」(桑田佳祐ソロでの宇多田ヒカルカバー)
一時期はYouTubeにアップされるたび即座に消されていたサザンTV出演時に個人が録画した映像は、いつからかあまり消されなくなった。やたらにテンポが速くてバラードでもなんでもない「いとしのエリー」リリース前のライブ初披露時オーディエンス録音音源はYouTubeで初めて聴いた。
デビューして最初の数年間におけるテレビ出演時のサザンと桑田佳祐。短パンにランニングシャツだったり、もじゃもじゃ頭に無精髭だったり、司会者や共演者へ矢鱈ペコペコしていたりヘラヘラと笑顔だが、それはテレビ芸能界の大人の世界で恐縮していているというよりも、毛穴からザーメンが噴き出ているかのように溢れんばかりの才能を自分でも持て余していて、腰が低いのに音には絶対的な自信が満ち溢れていて、「別にテレビ映りなんてどうでもいいし、芸能は好きだが世間には興味がないし、スポットライトもテレビカメラも美術セットもぜんぶ冗談でだからこそすべて真実だ」とばかりに、演奏が始まり歌い出すと傍若無人な、若いのに老成して投げやりと真摯が同居した異様な人物の姿である。死体置場でロマンスを歌う男である。