季節は、終わるのではなく
牡蠣を油で煮る。加熱用牡蠣なので、ゆるゆるとしっかりのあいだを行き来してノロノロと火を通す。
この時点で半分食う。翌日。
その油で菜の花を炒める。
真牡蠣と菜の花の季節が終わる──と書こうとして、季節は終わるのではなく変わるのだよなと思い直した。終わるのは旬だ。「旬がやってくる」というトピックが、「ここらでもそろそろ出てきましたね」になり、「いまがピークだね」になり、あまり話題に上がらなくなった頃にはいつのまにか店頭から消えている。
9年前には、「正しく怖がる」のも「不安をぜんぶ解消する」のも「めんどくさいことは考えないようにする」のも、結局のところどれも出来やしなかった。出来やしないんだから得体の知れない恐れだけを増大させてゆくのだけはやめちまいたい。カミュ『ペスト』より、コニー・ウィリス『ドゥームズデイ・ブック』のような面白い本でも読んでさ、煮てさ、焼いてさ、食ってさ、それを木の葉でちょいと、隠(かぶ)せ。
『神戸市街地定点撮影 1995-2001 復活への軌跡(毎日ムック)』(関美比古・高橋勝視/毎日新聞社)のページを毎日めくる。少し前に図書館で借りて、返却日がきて、返却ポストに入れてきたその夜に注文したのが届いた。ここ二ヶ月近く、1月17日と3月11日のあいだにいる。いや、まあ、いるというか、心だけでなく、まったく単なる日付の上でもそのあいだにいるわけだが。