このまちで、あの本たちが周って回って廻って

 まだ子が保育園児の頃。

 その週と前の週を合わせて段ボール箱二十ほどの本とDVDを買取店に発送した。メルカリでチマチマ売ったほうが手元に残る金は十倍にも二十倍にもなったろうがそんな時間の余裕はないのだ。もう来週には引っ越し業者から段ボールがドカッと届いて片っ端から箱詰めしてゆかねばならん。150箱くらいになる見込みだ。ここ二週間、毎日45リットルゴミ袋に五〜十ほどの可燃ゴミを捨てている。プラゴミや金属や古紙や古着も回収日の朝に間に合うよう急いでドカドカ捨てている。

 本やDVDが詰まった段ボールひと箱に二十から三十アイテムとして「自分ならこれひとつ100〜200円だったなら買うな」という本ばかりだが──自分で読みたいから買ったのであって当然である──箱でまとめて送ると、買取値段はひと箱あたり100円くらいだ。

 先日は子の迎えの時間に自転車のカゴいっぱい子が読まなくなった──年齢的に合わなくなった──本を四十冊ほど詰めて、いつも園の帰りに遊ぶ公園で出会う顔見知りの子連れの方々に配った。みんな喜んでくれて嬉しかった。子も嬉しそうだった。

配った本のごく一部
普段なら表紙を並べて写真を撮っとくがその余裕もなかった

 ベンチに広げた本の中から自分で選んだ「うさこちゃん」(ナインチェ・プラウス)シリーズの一冊を抱えた三歳の子が駆け寄ってきて「◯くんパパありがとう」と言ってくれた。子はその姿を見て「◯くんの本があの子たちに継承されたわけやんか、あの子たちが読み終えたらそれからまた他の小さな子たちに継承されるとええな」と言った。

 このまちで、あの本たちが周って回って廻って、様々な子が手に取り、いろんな家に置かれ、何年も読まれたならいいな。子が気に入ってあまりに何度もページを開いたのでボロくなり補修テープが何箇所にも貼られたのもあるけれど、お兄ちゃんお姉ちゃんが読んだ本が、弟や妹に、赤ちゃんに。雨は海に、知は脳に、言葉はひとに、本はまちにお帰り。いまの家に引っ越してくる直前で2022年秋の出来事。

 帰り道、子に「なんか今日は本屋さんみたいやったな、大人になったら本屋さんになるとおもろいかもな」と言うと、子は「◯くんはマクドナルドの店員さんになりたいねん、夜は世界中の核兵器を消して回るエージェントになる」と言うのだった。なお翌年すぐにあった保育園卒園前の発表会で「大人になったら何になる?」という発表があったが、そこで子は壇上で「マクドナルドの店員さん」と言った。「エージェントはどうした」と問うと、「夜の正体は恥ずかしくて言えんかったわ」と子は言った。

 2024年のいまでも別々の小学校に行った保護者から「あのときもらった本、まだ読んでるんですよ」と声をかけられることがある。


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