Sematary ─ 『ヘレディタリー/継承』感想 ─
『ミッドサマー』が公開されたばかりのアリ・アスター監督の前作『ヘレディタリー/継承』感想文を多少の文章表現を修正してnoteに転記してみました。
『ヘレディタリー/継承』は、画と音を本来あるべき場所へ誘導しつつも画の編集点と音の挿入点を超絶技巧でズラして不穏を煽りまくるという凶悪な映画でした。楽理を理解していてなおかつ超絶速弾きのできるギタリストが、わざとチューニングを狂わせたり不協和音を鳴らしているようなものです。印象的な場面に音楽がなっていたかを覚えてる? それがどんな劇伴だったかは? そのサウンドはSE、それともスコア? 衝撃的な画の次のカットはどんなカメラの視点だった? 観終えてから、それらを脳内再生できなくて唖然としました。
唐突なところから薄くSEが入って知らぬうちに消えたり、引き画→寄り→挿入→切り返しを意図的に入れ替えたり無くして「なんでこんな編集なの!?」と違和を生じさせたり、画や台詞といったディテール・描写の不快さではなく、演出が忌まわしさを完全にコントロールして不快さを呼び寄せていました。
スピルバーグ『宇宙戦争』(『ジョーズ』でも『ミュンヘン』でもいいけれど)を観ると、「な、なんでこんなに演出の模範解答・正解が場面ごとに山盛りなんだ……」と唖然としてしまうわけですが、『ヘレディタリー/継承』は「……こ、こいつ答えをわかってて、わざと暗号で書いてやがる……」と嫌な汗が出てきてしまったのでした。
ということで、以下は公開初日の初回上映で観た直後に書いた文章です。
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『ヘレディタリー/継承』。ここ5年……いや10年でいちばん、いや違うな、大人になってから観たホラー映画で最も怖い。怖いのが苦手な人にはあまりにも怖すぎるので「見てはいけない」とすら言いたくなる。いいですね、私は言いましたよ。注意しましたからね。
【ATTENTION!】以下、物語の展開や登場人物についていっさい触れていません【ATTENTION!】
(なぜ触れないかというとそこは説明がし難いです。物語展開のネタバラシ厳禁!といった単純なことではないのです。ワンアイディアで勝負しているタイプではなく異様に精緻な作品です。ジャンルの好みや肌に合う合わないを超越しています。ネタバラシで退屈になる作品ではけっしてないのですが、ネタバラシしたくないと思える作品なのです)
傑作傑作傑作傑作傑作傑作傑作傑作傑作傑作傑作傑作。
頭の中で、スティーヴン・キングの小説『ペット・セマタリー』をポール・トーマス・アンダースンが撮った映画をなんとなく想像してみてください。してみましたか、はい、傑作ですね。で、端的に言うと、その想像上の映画を超えています。まるで70年代──つまりスプラッターブーム以前ということだ──に撮られた伝説的ホラーの風格すら漂う超正統派、所謂「すでにして古典」クラスの作品です。
音がドーン! ドアがバーン! といったショッカー演出は、それほど多くはないですし(皆無ではありません)、Jホラー作品からの影響があるであろう不穏な画面構成も効いています。しかし、この映画の恐怖はそういうところではないのです。The horror、The horror……くれぐれもご注意を。観ているときには、これが現実の恐怖ではなくホラー「映画」だということを決して忘れずに。恐ろしさのあまり、人によっては少し調子が悪くなるかもしれません。いいですね、私は言いましたよ。忠告しましたからね。(漫画版『デビルマン』途中で読者に語りかける不動明みたいだな)
私が観たのは公開初日の初回上映だったので、客席には好き者が集まっていたはずです。ファースト・カットからもう傑作認定してもいいくらいの始まりで(あれは本当に凄い)、「なかなかすごそうだ」と、どこか余裕もあったのが、途中から「あっ、これ、ガチなやつじゃんか……」と劇場内には奇妙な緊張感すら漂い始めました。作品中に何度か訪れる回転数レッドゾーンからのシフトアップ/ギアチェンジごとに「……や……やばいな……これは」と唾を飲むのも忘れて、みんな口の中がカラカラに乾いてゆくのでした(あくまで客席の雰囲気からの想像です)。
画面上に映るモノや人物の表情や注意深く張り巡らされた音によって導かれた「ンあ? なんだァ?いまのは」という違和感は、必ずその5秒後、15秒後、3分後、1時間後……に「その正体はこれだ」と提示されます。そこに誘導のミスやこちらの勘違いはありません。冒頭15分までのスムースな導入部から40分、60分、90分それぞれに幕がある脚本の構成はある意味では基本に忠実ですが、観客の心の中に生じる疑念と解決を完璧にコントロールできています。
もちろん映画は娯楽だし好き嫌いで評価を決めてしまってまったく問題ないわけですから、こんな問題設定は無意味ですが、画・音・編集・構成・演出の「機能/性能」というスペックだけでみたら、本作はブッちぎりだと思いました。まるでジョン・カーペンターとポール・トーマス・アンダースンが悪魔合体したかのような、画と音できちんと語れている、語りきっているヘルシーな作品です。難解ということはなく、むしろ「観たまんま」な作品です。様々な暗号めいたディテールが画面内に登場しますが、それは登場人物が乗る車種よりも瑣末な枝葉末節です。わからないものはわからないままでいいのです。解説も謎解きもそれほど必要としないことでしょう。健康的。
本作を観て「たいしたことなかった」「言われるほど怖くなかった」ならそれはいいことです(皮肉ではありません)。怖がる為にホラー映画を観に行っての肩透かしは損した気持ちになるかもですが、本作が心の底から恐ろしいというのはそれほど良いことばかりではない気もするんだ、と心の底から恐ろしかった私は思いました。……過剰に「現実」すぎる、生々しすぎるんです。心が穏やかじゃいられなくなるんです。
物語終盤の展開やラストを「なんだあ結局そういうことかあ」「超展開に笑った」と感じる人もいることでしょう。それは幸せなことです(これも皮肉ではありません)。私が抱いた恐怖の種類は、闇夜の道に空いた黒い穴のように人生のあらゆる場所に待ち構えている、見えないし避けられぬ不幸。それは家族や親子といった人間関係とは無関係に、ただそこに存在する穴です。
本作では家族や親子がフィーチャーされていますが、そこにあるのは「血」の話ではなく、「意思の力だけでは避けられない恐ろしいこと」「まるで最初から運命づけられていたかのようにそこから逃げだせないこと」の話だと感じました。私はこの作品に限らないのですが、それを血脈の物語として解釈することに抗います。避けられなかったものを暴力と呼び、見えなかったものを不幸と呼び、逃げられなかったものを恐怖と呼ぶ。避ければいい、向き合えばいい、逃げればいい、が通用しない出来事を描くのが、怖いホラー映画だと思いました。
場内の明かりがついたあともしばらく具合が悪かったほどに怖い作品ですが、もういちど観たら自分は最初から最後まで泣いているはずです。持って回った言い方でも比喩でもなく、ストレートに哀切で泣くと思います。特に最初の40分、この40分間はとても長く感じました。退屈なのではなくあまりにも濃密で。
ここまで書いておいてなんですが、まったく素性を知らない赤の他人に本作の観賞を薦めるかというとノーコメントです(ただし重ねて書くと、紛う事なき傑作ですよ)。私は観ているあいだじゅうずっと「これはホラー“映画”なんだ、落ち着け、落ち着けよ」「あれは作り物、作り物なんだ」と自分に言い聞かせ続けていました。そういう種類の恐怖がある映画でした。
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これはノンフィクションでもドキュメンタリーでもありません、始まりがあって終わりがあってエンドロールが流れて幕が下りるただのおはなしです。でもそこにあるのは真の恐怖、127分間の地獄です。