自分なりに地図を描いてゆく。『天元突破グレンラガン』を観た
【2021/08/10】
子が先日観たアニメ映画『プロメア』を気に入ったこともあり、監督や脚本など同じスタッフが多く参加しているテレビアニメ『天元突破グレンラガン』('07)をhuluで1話から観始める。「このドリルでうおおおおおっていうの『真ゲッターロボ 世界最後の日』でもあったよね!」と言う。きみ、なかなかいい勘してるね。
2話〈俺が乗るって言ってんだ!!〉終盤で主要登場人物のひとりカミナの父のエピソードが出てくる。私は、「この場面を私は子と一緒に観ているのだ」と思う。たまらない気持ちになる。
3話〈顔が2つたあ生意気なッ!!〉にヴィラルという登場人物が出てきた瞬間に「……アースグランナーのガオグランナーレオの声がするね?」と言った。ほんとかよ……(どちらも檜山修之さんが演じている)。きみ、なかなかいい耳してるね……凄いな、未就学児でもそこまでわかるものなのか、Wikipediaはまだ読めなかったよね?
冒頭に挿入された、宇宙を征く巨大な顔のついた船の場面を見て「ゲッターエンペラーみたいやな!もしかしてゲッターロボアークってグレンラガンなんちゃうか」と言う。「ちがうで、グレンラガンのものがたりを書いたひとはゲッターロボが大好きだったんや」と(要約して)伝えると、「じゃあ◯くんと同じやな!!」と嬉しがる(◯は自分の名前)──なんというか、不思議な感覚が生じた。
自らが目で見たことと耳で聴いたことを土台に、その時点での知識を頭の中でかき集めて、新しいモノの中に古いモノの姿を、古いモノの中に新しいモノの姿を見出して、自分なりに地図を描いてゆく。その光景に私は私自身の過去の姿を見つつも、同時にフレッシュな感覚も抱く。未来は過去で過去は未来でひと続きだ。