幼い頃に身につけた知恵

〈2019年9月20日〉
 自転車で移動中に腹具合が悪くなった。ン? と違和が生じた瞬間に「……今回ばかりはダメかもしれない……な」と覚悟するほどの強い便意であった。後々判明するのだが、前夜に暗い部屋でジャッと2〜30ばかり口に放り込んだ錠剤の瓶を間違えていたのだ。(写真)

 私は元来、胃腸は特別に丈夫とも言えず、かといって弱いわけでもない。しかしここのところ食欲の無さや少しの下痢があるので、どちらの瓶も手に届くところに並べて置いていたのが取り違えの原因であった。

  さて、腹痛のまま自転車を走らせる私は、すぐに立ち漕ぎへとフォームを移行した。これだと座り漕ぎに比べて尻を締めやすいのだ。幼い頃に身につけた知恵である。

  スマフォを取り出しMapアプリで周囲のトイレを検索──それは0.2秒で断念した。自転車を停め降りようとした瞬間に「ダメだ……いちど降りちまうと、もう再び乗ることはできない……怖くてたまらないのさ」と引退したレーサーかのような確信があった。

  ぎこちなくペダルを踏みながら大通りに出る。普段はあまり通らない道なので視界の確保を優先した結果、4〜500mほど先にコンビニの看板が見えた、しかし鋭敏になっている私の五感はとてもじゃあないがあそこまでは間に合わないと告げる。

  あの名場面が脳裏に浮かぶ。「退艦命令を出さないと全滅する?」「立って、立つんだ」「次に腹痛がやんだら一気に走り抜けられるよ」「あたしが走ったら走るのよ、いいわね?」。

 賭けである。予備知識もなく初めて降りた駅で改札を出てどちら側に歩を進めるのか、見たい景色はどの方向に向かえばあるのか、まちの風を感じてひとの匂いを嗅ぐ、それと似た感覚を呼び起こす必要がある。交差点を曲がる、50m走る。ちょい右、そこでまっすぐ、そう、こっちこっち、大丈夫だから──はたしてそれは大通りから死角の場所にあった。店の名はLIFE、こうして私は人生を取り戻した。

 ひと息つき、厠の借り賃というわけでもないがゆっくりと買い物をしてから、帰路でさきほど看板をみたコンビニへ向かう。確かめたいことがあったのだ。店のウインドウに貼られた手書きの紙を読んで思わず呟いた。

「アムロが呼んでくれなければ我々はあの炎の中に焼かれていた……」。そのコンビニはトイレが工事中だったのである。

この項、了。

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