「カリオストロの城」を六歳児が観るまえに、観て、観たあとに。
まず前段として──子はルパン三世には音楽から入った。詳細は以下の日記に書いた。
【炎のたからもの|ryokikuzaki】
〈2022年12月13日〉
子は三歳のときに『となりのトトロ』も『崖の上のポニョ』もBlu-rayでの再生時に目が釘付けになった。後者は冒頭から90分間以上のあいだひと言も発せず身じろぎひとつしなかった──
そのときのことは以前に書いたことがある。〈『となりのトトロ』はどうして幼児でも集中できるのだろうか? と考えながら観たことがある〉〈「物語上の起伏よりも、動きや音による起伏が長く間をおかずに細かく連ねっているのが重要」だ〉〈才と術が生み出した、画と音の映画だ。そして画と音を「おはなし」が飛び越えてしまわない〉
【どれかのページが四十年後に再生されるかもしれない|ryokikuzaki 】
──きっと宮崎駿監督作品を初めて子と映画館で観ることになるだろう映画のタイトルが『君たちはどう生きるか』だ。たまらんな、どうしたものかな。
子は、この歳で「どう生きるか」を突きつけられてしまうのだろうか。観た映像や音の断片は血液や細胞やニューロンに取り込まれて、その後、彼の人生になんらかの影響を及ぼすのか。
『ルパン三世 カリオストロの城』も『風の谷のナウシカ』も『天空の城ラピュタ』も三歳くらいのときに少し観せたことがあるのだけれど、途中で「止めて(他のことやりたい)」と言われた。『千と千尋の神隠し』は「怖い」と言われ途中で止めた。『パンダコパンダ』同続編『パンダコパンダ 雨ふりサーカス』の二作はヘビーローテーションしてきて、いまでもたまに「ひさびさに観たい」と言われる。豚、魔女、もののけ、ハウル、風立ちぬは、まだ観せていない。
『未来少年コナン』は、配信のサムネール画像にあまり興味を抱けなかったようで、何度か「観てみようか」と持ちかけても「あんまりやなあ」という反応で無理矢理みせるのはあかんなあと感じて観せていない。いまは子のiPhoneに入れてある『ルパン三世』の音楽に関心を示しているので、テレビシリーズで宮崎駿が演出した第145話「死の翼アルバトロス」と第155話「さらば愛しきルパンよ」は、いずれ観ることになるだろう。
なあ、きみは、宮崎駿の時代にきっと間に合うんやで。いつか本棚をよおく見てご覧なさい。『風の谷のナウシカ』というマンガが置いてあるはずや。関心があったならページを開いてみるといい。その横には「飛行艇時代』『宮崎駿の雑想ノート』『宮崎駿の妄想ノート』という本も置いてあるけれど、そっちは十二歳くらいでええよ。
なお『ルパン三世』TVシリーズ宮崎駿担当回二本に関して、放送後さほど時間が経っていない時期の関係者の発言と、ドタバタ喜劇とシリアスな二本の違い・共通点については藤津亮太氏による以下の記事に詳しい。有料記事だが先の二本を好きな方には得るものがあるはずだ。
【『ルパン三世』第145話「死の翼アルバトロス」と第155話「さらば愛しきルパンよ」解説|藤津亮太』】
〈2023年1月20日〉
子が「そろそろルパン三世を観たいんやけど」と言い出したので、最初に再生するエピソードはこいつだ。「死の翼アルバトロス」!
2本目は「さらば愛しきルパンよ」。子の横でひさしぶりに何度目かの視聴をしたが、どちらも奇跡かよ?ってくらいデタラメに面白いし、子供時代に若い頃に観たときよりも、画面にこれを叩きつけてやるのだというあまりにも過剰な情熱に感動する。子も画面に食い入るように没頭していた。
そのあと子は「ルパンのシーズン1の1話が観たい」と言い「ルパンは燃えているか…!?」を観た。つぎにかけるのはこれだ、「7番目の橋が落ちるとき」。
〈2023年2月4日〉
…………子に、ついにあの映画を観せてしまった。もう少しあとでも良いかと感じていたが、どうにも我慢ができなかった。とはいえ、一度観たらそれで充分というタイプの作品ではない(だろう)から、今夜観せてよかったのかもしれない。しかも「これはな、もしかしたら世界でいちばん面白い映画のひとつかもしれん」との前口上つきで観せたのだ。『ルパン三世 カリオストロの城』。
観終えたあとは、子をトイレに行かせすぐ寝つかせる時刻になっていたが、「なあ、あの映画の音楽が聴きたいんやけど、もう少し起きてていい?」と子は自分から言い出した。だから、照明を消して暗くした部屋で何曲か聴いた。
サントラ盤を聴きながら子は、とある場面が強く心に残ったと言う。「それはトット(私)も同じだったな、むかしはDVDがなかったからテレビの放送で観たんやけど、何十年も前に初めてあの場面を見たときから、ずっとずっとずっとあのジャンプを覚えている」と私は応える。いくつかある「いつか子に観て欲しい映画」の空欄のひとつへスタンプが押された。なお、その後、子は「ディギディギディギディギディギディギディギディギ……プワーン、プワーン、ティギドン」あの塔から塔へのジャンプの楽曲をよく口に出すようになった。
子は途中でやめるとも言わず最初から最後まで集中して観て、私もひさしぶりに通して観て楽しんで、終わった後は子も満足気な顔をして、嬉しかったけれど、どうしてだかわからぬが、なぜだかわからぬが、観てる最中に自分は何か恐ろしいことをしているかのような気分でいた。どうしてそんなふうな気分になったのかはその時点ではわからなかった。
〈2023年2月7日〉
未就学児がAmazonプライムビデオで観られる1stルパンに夢中で毎晩1本づつ観る。そして「マシン〜が叫ぶ〜狂った朝の光にも似た〜ァ〜ワルサーピーサンジュハチー」と毎日のように風呂で歌う。かもめ児童合唱団の未発表曲かのようだ。
で、この年頃はまだ事前情報や思い込みがなく、頭が柔らかいせいか、音楽のバージョン違いにも敏感で「エンディングでバイク音が入ってたで」だとか「オープニングのナレーションが変わったんやな」「歌の声が違うな」だとか毎回言うのだ。私は旧ルパンの楽曲に詳しくないが、聴いてみるとどうやらそのとおりのようだ。
今晩の寝る前の作品はこれにしてみた。『名探偵ホームズ 劇場版』。「ジブリがいっぱい」コレクションDVDなのにTV側で設定を変えないとワイド画面に合わせて引き伸ばされてしまうのは怠慢である。
〈2023年2月8日〉
同級の子たちはチェンソーマン・ブームの渦中だが、今夜の子の映画はこれ。『ルパン三世 ルパンVS複製人間』('78)。「ふくせいにんげん」という漢字をツルッと読めて驚いた。
〈2023年2月10日〉
犬アニメ版『名探偵ホームズ』劇場版(青い紅玉、海底の財宝)を子が気に入ったので、取り急ぎ「小さなマーサの大事件!?」「ミセス・ハドソン人質事件」「ドーバー海峡の大空中戦!」を配信で単品購入する。いずれシリーズ全収録DVD or BD-BOXが必要になるだろうか。
『名探偵ホームズ』劇場版と『ルパン三世 ルパンVS複製人間』を続けて観た次の日に、図書館で子は「名探偵」と「ルパン」の本を探した。興味関心を連続させてゆく、切らさないということの重要性は身にしみている。
図書館で子が本棚のあいだを巡って巡って探してる姿を見かけた司書の方が「何かお探しでしょうか」と尋ねてくれた。私は「ええと、実はルパン三世のアニメが好きになりまして」と答えると、司書は「モンキーパンチさんですか!? 取り寄せならできますが」と言ってくださるが「いやあルパン三世のマンガは少しアダルトすぎだと思いまして」「そうですね」などと会話をした。
マージョリー・W・シャーマットの「ぼくはめいたんてい」シリーズの一冊と、ホームズのジュブナイル向け本(編著が芦辺拓氏だった)を借りた。子はiPhoneで画像検索をしながら、ルパン三世と次元大介と石川五ェ門の絵を描いた。
〈2023年2月11日〉
ときどき怖くならないかい? 本も映像作品も音楽も、子に与える情報の多くに自分(私)のバイアスがかかっていることを。「カリ城」を子に観せてる最中の私の怖さの正体は、それだった。
子がNetflixサムネール一覧から選んだ、私が未見の『次元大介の墓標』は傑作だった。『ルパン三世 ルパンVS複製人間』を事前に観せておいてよかった(作中でリンクするネタが少しある)。
〈2023年2月17日〉
ここ何年もご無沙汰をしていたTSUTAYAのDVDレンタルが最近馴染み深い。というのも子の関心領域が広がって、「配信にない」──正確には私が契約しているAmazonプライムビデオとNetflixにはない──作品を観たがる要望が増えたからだ。拡げる、繋げる、どれが深まるのかわからぬまま、縦に横に掘ってゆく。
今日は『銀河鉄道の夜』、『ちびまる子ちゃん わたしの好きな歌』、『ルパン三世 バビロンの黄金伝説』、『ルパン三世 風魔一族の陰謀』、『天空の城ラピュタ』、『風の谷のナウシカ』、『ルパン三世VS名探偵コナン』、長編版新作「トムとジェリー」などを借りる。中には私が円盤を持っている作品もあるが、店頭でジャケットをみてどれを借りるかを自分で選ぶ経験させることを優先した。ルパンはTVスペシャルがNetflixにあるが(注:当時)、「バビロン」と「風磨一族」はラインナップにないのだ。ルパンvsコナンのTVスペシャル&劇場版の二作品は有料レンタルやセルもAmazonにない。
〈2023年2月23日〉
『ルパン三世カリオストロの城』では、あれほどまでに画面に釘付けだった子が、なんと今日の昼に観た『天空の城ラピュタ』では、途中でオモチャを手にし、お菓子とジュースをねだり、ぬいぐるみと遊び始め、明らかに関心を失ってる時間もあった。もちろんアクションに惹きつけられるときもあるのだけれど。
その姿を目にしながら、「ああ、ギミックもストーリーラインも児童向けの活劇の復権を目指して作られているけれど、ギリギリで本当の意味での児童向け〈まんが映画〉になってないんだなこれ」と認識を新たにした。どこがどうそう感じたかの具体的な言語化はなかなか難しいのだけれど。
私が観たのは十三歳だった。そのときスクリーンで感動した「40秒で支度しな」からのフラップター飛行からのロボット兵大暴れからのシークエンスは「ああ……あのとき映画館の暗闇で〈いまものすごく心が震えている〉と感じたのを昨日のように追体験している」と私は感慨の中にいたけれど、子はその場面が終わったら急に画面への関心をなくしてしまった。少し早すぎたかなあ、子には悪いことをした。
要塞の地下に保管されてるロボットをシータが見る→パズーが金貨を渡されて家に戻るとドーラ一家がいて「40秒で支度しな」→フラップターの飛行→ロボット復活大暴れ→パズーがシータを抱えて救出に成功まで、映画でいうと40min〜63minのあたりで、TVシリーズ仮に「パズーの冒険」があったとしてめっちゃ面白い回1本分の尺だ。
氷川竜介『日本アニメの革新 歴史の転換点となった変化の構造分析』(角川新書)に、こうある。
なるほどたしかにラピュタはTV放送でCMが挟まっていた方が面白いのだ。なお、氷川竜介氏による前述の新書はサクッと読もうと思えばサクッと読めて、いい意味で斜め読みができる。しかし枝葉末節をバッサリと落としながら(想像するに氷川氏であればいくらでも書けたであろう)、一行一文の記述やなぜそう表現したかなどが繊細な手つきで書かれており、全体としては現在に至るまでの歴史や構造の理解がしやすいが、各所を深掘りして更なる情報を求めようと思えばいくらでも手がかりやヒントが散りばめられている名著だ。わかりやすくするために大雑把な印象のみで書かれた本は目が滑るものだが、本書はそういったものとは違い、自分が多少なりとも予備知識がある箇所では「なるほど」と頷きながらも「どうして著者はこういう書き方をしているのか、ああ、うん、そういうことか」といちいち腑に落ちたり考えを巡らせたりと、目が「滑らない」本だ。わかりやすく歴史と構造を「書ける」ために著者が実体験やデータとして持つエビデンスや参照元(たとえば過去の雑誌記事)は膨大な量だろう。
〈2023年3月6日〉
1stルパンを気に入った子のためにメルカリで落札した「ルパンは燃えているか…!?」フィギュアとマシーン。
〈2023年3月7日〉
子が「カリ城」を初めて観てから日が浅いが、もう通しての鑑賞が三回目に突入している。このままだとカリ城目当てに名画座に通い詰めた世代ばりに全セリフとSEと劇伴のキューを覚えてしまうんじゃないかこれは。
しかし「情報」として知ってはいたが、意識して注意深く作品をみると、ルパンと次元が序盤で大公殿下邸跡を訪れる場面の画面構成は凄まじい。湖の真ん中にある城と水道橋とその周囲というカリオストロ公国の複雑な舞台装置と美術設定を説明台詞や図解を使わず、高低差や近景遠景などのレイアウトを駆使して巧みに観客に伝えている。画面奥の遠くに時計台が執拗に映り込むカットの多さよ(確か宮崎駿監督自身の発言かイメージボード脇のメモか美術スタッフへの注意書きで「どんな地形かわかるように」と念を押していたはずだ)
いま子がねんど遊びをしながら「カリオストロの城の音楽が聴きたい」というのでサントラを流している。しかし、先日、子の横で「カリ城」を観ていて「そういえば」と感じたことがあった。あの映画史上アニメ史上に残る美しいタイトルバックと点描される風景の画面構成の見事さで「いいなあ」と思わされるが、主題歌「炎のたからもの」っていったい誰の何の歌なのかよくわからないな?との疑問が生じたのだ。
言葉の選択は美しいし(なにせあの名作詞家、橋本純氏だ)、歌唱も見事だし、サウンドもいいし、物語が終わったあとしばらく時を経たクラリスの心情としてストレートに読むこともできるけれど、そう読んではいけないとも感ぜられる(まるでクラリスをハグする手を引っ込めたルパンのように)。
この楽曲はシナリオが完成してから作詞したのだろうか。それともイメージだけ伝えて先につくられたものなのか。詞先なのか曲先なのか。アニメ雑誌や研究書で、そこらへん記事になってたりするのか。それともサントラのライナーノーツに載ってたか(CDが見つからない)。
「ルパン三世」シリーズや登場キャラクターに予備知識がなく、『ルパン三世 カリオストロの城』という映画作品単体で捉えると、歌の語り手はカリオストロ伯爵でもおかしくないとすら思う。
救い難い、いけすかない人物だが、カリ城主題歌「炎のたからもの」の語り手ってやっぱりカリオストロ伯爵なんじゃないのかしら。まあ、捻くれた読み取りなのはわかってる。
カリオストロ公国という閉ざされた世界の〈二人〉って、クラリスと伯爵、光と闇の二人のカリオストロ家で、そこにルパン一家が闖入してる物語なわけであって。
〈2023年3月22日〉
新潟国際アニメーション映画祭が行われていた際の、家での出来事。
事前予習で『長ぐつをはいたネコ』('11/『シュレック』のスピンオフ)を観て、翌日にはNetflixで「長続をはいた猫 おとぎ話から脱出せよ!」('17/インタラクティブコンテンツ)を観て、準備万端、映画館で『長ぐつをはいたネコと9つの命』('22)を前日に観てきた子に、『太陽の王子 ホルスの大冒険』('68)と『空飛ぶゆうれい船』('69)のあいだに公開された映画を観せた。
当時東映動画に在籍していた宮崎駿が原画として参加している作品、『長靴をはいた猫』('69)だ。
観ながら子は「ルパンのカリオストロの城みたいやな」と言い、私はその感想に心をうたれる。そうやって、予備知識ではなく体感で、脳内で地図を描いてくれると嬉しい。
ゴダイゴ「銀河鉄道999」の歌詞、〈そうさ君は 気づいてしまった〉のワンフレーズが、この歌を永遠のものとしているように感じたことがあった。君が様々な局面で気づいてしまう瞬間。
君が少年時代のさなかにいるとき、そこで何かに気づく瞬間のすべてに立ち会いたい。とうてい無理な願いだが、心からそう願う。