成熟した愛には何が必要か。
岩井俊二監督の最新映画『ラストレター』を観てきました。1月17日に公開されたばかりの映画です。
観ることを急遽決めたので予備知識のほとんどないまま映画館に足を運んだのですが、不覚にも号泣してしました。主要な登場人物全員の恋愛感情が淡く切なくて、誰に感情移入しても胸がキューっと締め付けられるような感覚があり、とにかくピュアな愛が描かれた作品だったなと。
そんな素敵な作品を観終わったあと、頭の中にある一節がじわっと浮かんできました。タイミングよく昨日読み終えたばかりのエーリッヒ・フロム著『愛するということ』の一節です。引用します。
愛するということは、なんの保証もないのに行動を起こすことであり、こちらが愛せばきっと相手の心にも愛が生まれるだろうという希望に、全面的に自分をゆだねることである。
愛とは技術であり、愛することは「愛する覚悟」や「愛する決意」である。成熟した愛は、愛するから愛されるという原則にしたがい、大事なのは愛そうとすることなんだ。
そう考えてみると、叶わず終わってしまうとは言え、遠野未咲の幸せを終始願い続けていた乙坂鏡史郎の愛の形がもっとも成熟に近かったのかもしれません。
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しばらく余韻に浸ったあと、一緒に映画を観た友人に上記のようなことを語った際、ふと「成熟した愛にはなにが必要か」という話になりました。
なぜ多くの人は愛を成熟させられないのか。
どうしたら愛を成熟させることができるのか。
僕らの結論は、『変わらぬ日々を豊かに生きること』でした。
決まった時間に起きて、適量の健康的な食事をとり、勤勉に誠実に仕事に励み、身の回りをいつも綺麗に整え、ひとりの時間を楽しみ、適度な運動をして、夜更かしせずに寝る。
その前提のうえでしか、きっと人は「ただ愛すること」に向き合えないのだろうなと。
少しでも日常が乱れていると、人は人を愛する心が曇ってしまう。だから僕たちは、人を愛する幸せを得るためにも、覚悟をもって自分を愛し、そして自分の生活を磨き続ける必要がある。(岸見一郎さんの『幸せになる勇気』に似たようなことが書いてあった気がするな…)
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そして帰り道。
昨日の『愛するということ』の読者メモを見返していたら、こんな一文を見つけました。引用します。
人を愛するためには、精神を集中し、意識を覚醒させ、生命力を高めなければならない。そして、そのためには、生活の他の多くの面でも生産的かつ能動的でなければならない。愛以外の面で生産的でなかったら、愛においても生産的にはなれない。
フロム先生も似たようなことを語っている。
成熟した愛で人を愛するために必要なのは、まず日常の生活を正すこと。
そこから、そこから始めよう。
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というわけで、今日の記事は以上です。
年始に風邪を引いてから2019年に積み上げたルーティンを崩した僕にとって、胸に刺さる喝を入れてもらったような気がします。いいタイミングで良い書籍と良い映画に出会えたのかもしれません。
では、またあした〜!
▶︎ 合わせて読んでほしい記事 ◀︎
≫ 愛は「技術」であり、技術の「習練」が必要だ。
≫ 好きな人に好きな人がいることを幸せだと思えるようになると、人生はずいぶんと楽になる。
≫ 好きな人がいたら、好きだと言わなければいけない。