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旅情奪回 第17回:東寺の別れ

出先で、あるいは旅先で知り合いにばったり会う、というのは意外に嬉しいものだ。まして、それが久しぶりの再会だった場合はなおのことだ。私の場合、自分から誰かを見つけるということは殆どない。近視なのに、裸眼で暮らしているのがいけないのだ。大概先に相手から声をかけられて、おぉ、ということになる。

大学生の時のゼミの恩師はとても素敵な人だった。研究一筋。正々堂々としていて、姑息な態度を許さなかった。学者は論文を書くことが第一義、論文を書くことをやめたら研究者として怠慢であると常々話しておられた。

しかし、厳格一辺倒な法学者であるかといえばさにあらず、カラッとして朗らかな方で、豪快に笑いながら、ゼミのあとに一緒にお酒をいただいたものだ。その快活さを求めて、先輩などが「先生、叱ってください」とお願いに現れたりすると、「あら、●●さん、じゃちょっと元気にしましょうか」などと笑いながら、ビシビシと痛いところを突く様子は、ゼミ生なら誰もが目にした光景である。傍から見ているうちは、随分とおかしな趣味だと笑ったものだが、実際卒業してみると、先輩たちの気持ちが分かったりもしたものだ。そうして豪快かと思えば、卒業式が終わると、我々ゼミ生は先生のご自宅に招待いただき、目にも美しい手製のちらし寿司や、繊細な料理の数々をご馳走になるのである。

私が大学三年生になって最初のゼミの顔合わせで、「彼は坊主頭にピアスですよ、怒らないんですか?」と先輩が私をからかうと、「似合っておいでですからいいんじゃないですか?」と笑っておられた。私より前に、坊主頭でピアスのゼミ生はいなかったそうだ。

ある時のことだ。当時私は学部のゼミ連合の機関誌の編集長をしていたわけだが、その打ち合わせで午後の講義に数分遅刻してしまった。ゼミ生だけが履修するわけではない専門科目だったから、ほかにも、同じ学部の別のゼミ生がいる講義だ。教室に滑り込もうとする私を先生は制止し、皆の前で「教室を出なさい」とだけ静かに仰った。私は言い訳もせずすぐに教室を出たのだが、この一回の講義を聞き逃すのが惜しくて、教室のドアに耳をつけ、窓から覗いて黒板を写した。

講義が終わると、仲間たちが集まってきて「●●、理由があって遅れたんだろ?あれはないよな」とか「●●君が教室に入れてもらえないなんてね」と声をかけてくれた。しかし、遅刻して教室に入れてもらえなかった時、私はなぜか嬉しかった。自分が尊敬する恩師が公平な人であることを、みんなにも知ってもらえて誇らしかった。自分とても公平に扱われ、違反行為には目こぼしをしない、という先生の毅然さが嬉しかったのだ。

大学を卒業してしばらくはゼミ会などを開催していたが、それぞれが忙しくなりしばらく縁が遠くなっていたある日、その恩師と数年ぶりに旅先で再会した。

当時私は、少し特殊だがとても楽しい仕事に関わっていて、改めて奈良や京都の寺社仏閣や仏像の勉強をし直していた。じっくりとした丹念な調べ作業も大事だが、やはり一番は現地に行き本物に触れること。それで、仲間と二人で奈良や京都に取材をしていたわけである。

奈良をひと回りして、駆け足に京都に出て夕方の東寺を訪れた。拝観時間も終わりに近い東寺は閑散としていたが、本堂で小柄な女性が、さらに背を丸めて一心に手を合わせている。振り返ると、まさに恩師その人で、相手も私がわかって同時に「あ」となった。

「あら珍しい」と、何事もないかのように平然とした顔で言いながら、ふふと笑っておられた。驚いて、ただただありきたりな挨拶しか出てこない私に気づいて、先生は先に「一心にお願い事をしてました」といたずらっぽく笑って、「ご予定もおありでしょうから、続きはまた東京で」と、いつものように相手の予定を気遣い、偶然の再会をカラッと喜ぶや先に東寺を後にされた。

しかし今にして思えば、あれは先生流の「ユーモア」だったのかもしれない。先生はその後しばらくして、東京での再会を果たせぬまま亡くなられた。あの時の願いごとはなんだったのだろう。先生のことだから、病魔よ去れ、長生きをさせてくださいなどとは祈らなかったことだろう。ご病気のことは受け容れておられただろうから、きっと、死の直前まで研究のことで頭が一杯でいられますように、と願ったに違いない。
その後、一番弟子だった先輩から聞いた話では、先生は入院先でも毎日論文の推敲をされていて、いよいよ意識が朦朧となると、最後に「論文は?」と何回か繰り返されたそうである。

旅先での偶然の再会は、不思議と両手に余るほどあるのだが、その中でも、先生との東寺での出会いはずっと忘れることができない。あの再会のエンディングは少し寂しいものとなったが、それよりもなぜか、特別なシチュエーションの中で凝縮された先生らしさを、美しいまま永遠にこの網膜と記憶に焼き付けることができた気が今もするのだ。(了)


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