見出し画像

情報に対する責任

情報は、ヒトを介して肥大化し噂になって広がります。だから情報を発信する側は、正確に事実だけを発信しなければならないし、受け取る側は、余計な解釈を加えず、情報に真摯に向き合わなければいけません。今日は、情報に対する責任について書きます

私は、障がいのある人が利用する事業所を経営しています。私が、腰の手術で入院をしていたときの出来事です。私にその連絡が来たのは、ちょうど著名な芸能人がお亡くなりになった日です。

情報を発信する

私への連絡は、利用者の知人に陽性反応が出たというものでした。ご本人ではありません。ただし、間接的に陽性反応が出た人と濃厚接触をしていました。その利用者は、発覚後、万が一のことを考えて自主的に事業所の利用をひかえてくれました。

連絡をもらった私は、入院中のベッドサイドで関係機関あての報告書と、利用者、ご家族あての文書を作成して法人に送りました。その文書には、個人情報に配慮したうえで、事態の概要と法人の対応を記載しました。

情報への対応

法人の担当者は、その報告書をもとに所轄庁である区と市に報告の電話をしました。区の担当者は、ていねいに情報を聞き取り、今後の連携について確認をしました。ただし市の担当者は、ご本人の発症でなければ報告はいりませんと言いました。さらに報告書を書面で受け取ると、わざわざ電話をかけてきて、様式にない書類は送られても困りますと言いました。

著名な芸能人がコロナで亡くなり、社会はよりこの情報に神経質になっていた時期です。

情報は鮮度が命

私たちには、利用者のご家族が日々、何に注意をして生活をしているのか、そこまではわかりません。ゆえに事業所は、事実だけを伝えなけれないけません。さらに情報は日増しに鮮度が落ちるので速やかに伝えなければいけません。手元に置いておくとすぐに腐ります。

ただし情報は、送り手がどんなに気をつけて情報を発信しても、ヒトを介して腐ります。私が退院して、職場に戻ると、私の法人の関係者が感染したとうわさが流れていました。

情報の解釈の仕方のちがい

白黒がはっきりした事態は、誰もが一目瞭然です。しかし、世の中には灰色な事態がたくさんあります。灰色は、見る人によってその黒の濃さが違います。また人の間を渡り歩くうちに沈殿し、どんどん黒くなっていくのでしょう。

情報は、どんなに鮮度、精度が高い物を発信しても、まちがって伝わることがあります。受け手がまちがって解釈をするのは仕方がないことです。受け手は、自分の生活になぞって情報を解釈するからです。発信する側は常にそのリスクを承知した対応が必要です。

情報に対する責任

そのため、情報を発信する側は、発信した情報に対する相談窓口を用意し、いつでも情報に対して説明できる体制と、何かを言いやすい雰囲気をだいじにします。

それがサービスを提供するものの責任です。


いいなと思ったら応援しよう!