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見ている前ではやらないよね。
障がいのある人たちが利用する事業所を経営しています。今は、理事長業務が中心です。しかし、もともとは現場の支援者でした。この仕事に就いて30年以上が経ちました。その30年も、今、ふりかえると反省することがいっぱいあります。
支援者会議での発言
支援者同士で、利用者への対応について話し合っていたときのことです。支援者の間で「問題行動」と呼ばれる行為への対応について話し合っていました。そのとき、あるベテラン支援者が言いました。
「私のときはそういうことなくなったけど」
このやりとりから、このベテラン支援者は「できる人」になります。
しかし、ここに絶対的な正解があるわけではありません。ある特定の人の前では、問題となるような行為をしないというときは、その裏も考えることが必要です。
私が高校生の時
私の高校生の時の話です。私が通っていた高校の体育の授業は、冬になると、すべての時間が、学校の外周を何周も走る長距離走でした。また、体育の先生はとても怖い先生でした。
そのときの私たちは、先生の目を盗んでどうやってさぼるか、そればかりを研究していました。先生の前では、しっかり力強く走り、先生が見ていない学校の裏手は、ゆっくりダラダラと走る、それがあたりまえでした。
見張られているときが、本当の姿ではありません。
なめられないように
支援場面での実例をもう一つあげます。経験のある支援者が、新しい支援者に引継ぎをしているときのことです。「(利用者に)なめられないようにね」と、話をしているのを聞いたことがあります。
利用者は、支援者のことをなめたりしません。支援者が、支援者の言うことを聞いてくれない、それをなめられていると言っているのです。
支援と支配
最初の会議の事例と、この引継ぎの事例で共通していることは、支援者が、利用者を支配しようとしていることです。「支援」と「支配」を間違えています。
昔は、私もそうでした。利用者を、上手にコントロールすることが正しい対応だと思っていました。そのため、大きな声や勢いで利用者に向き合っていました。それは、利用者になめられないためのポーズだったのかもしれません。
「髙橋さんだってそうしてたじゃないですか」と仲間から言われることもあります。そのとおりです。しかし、その対応は間違いでした。長いこと間違えた対応をしてきました。今はそれを反省しています。
まだまだ、体の中には支配的な指導者が残っています。少しでも気を抜くと、そんお指導者が顔を出します。それをおさえるために、だいじなことを忘れないために、気がついたことは、言葉に残すようにしています。