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相手の立場に立つとは、
対人援助の仕事をするうえで、相手の立場に立つ、ということはたいせつなことです。しかし、相手の立場というのは難しく「相手の立場に立っているつもり」になりがちです。
話を聴くけど、そこに本音は…
私は、障がいのある人が利用する事業所を経営しています。事業所は日中活動とグループホームがあります。定期的に事業所を巡回すると、利用者がいろいろな話をしてくれます。
何か、しゃべりたいことがある利用者は、私の顔を見るなりしゃべりたいことを一気にしゃべります。しかし、私に伝えたいことをしゃべるだけでいっぱいいっぱいです。しゃべり終えたあと、私が「他に何かある?」と聞いても「だいじょうぶ」と答えます。しかし、大丈夫ではないものを抱えていることがあります。またそれらは、言っても仕方がない、というあきらめの気持ちが強くあります。
19歳のときオムツをはいた
私が専門学校に通っていたとき、特別養護老人ホームで実習をさせていただきました。そのときのオリエンテーションで、指導教官からオムツを渡されて「今日一日、オムツをはいて生活してみてください」と言われました。30年以上前のことなので、今、市販のオムツより肌触りも良くないと思います。
結局、オムツはオリエンテーションの間の2時間ぐらいで免除されました。私は、オムツをはいて生活することがどんなにわずらわしいことか、それを肌で感じました。股関節がゴワゴワでした。一度オムツをはくと、簡単にオムツをはけば、とは言えません。
最近のオムツは、はきごごちが良くなっています。しかし「支援」という視点だけで対処したらいけないということは今も変わりません。
「何やらされてんだかさぁ…」
グループホームで、入居者と世間話をしているときです。ある入居者が言いました。
「昔、(日中活動で)ビーズ作業や組紐作業をやらされたけどさぁ、それが売れなくて、やれやれって言うけどさぁ…何やらされてんだか…」
支援者は、何かプログラムを提供しなければいけないと思い、いろいろな活動を用意します。しかし、利用者には目的が伝わっていないことがあります。
支援者の特権階級に注意する
私は、今の仕事を始めたころ、オムツ体験を思い出し、一日、利用者と同じ日課ですごしました。それは退屈でした。やっていることが単調ですぐに飽きてしまい、体を動かしたり、しゃべったり、しまいにはウトウトしてきました。私が、苦痛になって立ち上がり歩いても誰も注意しません。しかし、利用者が急に立ち上がると「仕事中ですよ」「集中してください」と言われます。
今でも、プログラムを提供することが第一義的になっていることがあります。私は、ときどき利用者の横に座って「一緒にやっていいですか?」と声をかけて参加させてもらいます。しかし、すぐに飽きてしまいます。私は、一つの作業を続けることが苦手です。
相手の立場に立つ、常に考えていなければいけない視点です。