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第三者の目を意識する
第三者の目を意識するということは、だいじなことです。第三者の目がないと閉鎖的になります。また第三者の目がないと安堵感が生まれて自己流が増えます。危険です。
昨日、区内の社会福祉法人の集まり(Zoom)がありました。そこで、コロナ禍により家族が事業所(施設)の中に入れなくなっているという話がありました。同様に、ボランティアも入らなくなっています。外部からの入室を断っています。
支援者の本音
私は、障がいのある人が利用する社会福祉法人を経営しています。今は、理事長です。しかし、以前は現場の支援者でした。支援者の本音を言うと、外部の人が入って来ていろいろ言われるとストレスになります。
私がグループホームに勤務していたときのことです。入居者が、実家から戻って来るとき、ご家族が一緒に来ました。ご家族が来て困ることはありません。しかし、緊張します。また、入居者の部屋から聞こえてくる、家族と入居者の会話が私の胸に痛く刺さりました。
入居者の部屋の中で、家族が入居者本人に注意をしています。
「もう少し部屋、きれいにしなさい」「また、こんな物ばかり買って…」
それを聞いているとまるで私が怒られている気がします。
家族に教わる
中には、支援者に対してはっきりと伝えてくれる家族もいます。もう少し掃除をていねいにとか、すりきれた服は着させないようにとか教えてくれます。支援者からすると「いちいちうるさいなぁ」と思ってしまうこともあります。しかし、はっきり言ってもらって気づくことがあります。
とくに男性用のグループホームは、女性の支援者が入らないことがあり、部活の部室のようになります。私のときは、毎日が合宿生活のようでした。支援者は、「別に本人たちが気にしていないんだからいいじゃん」そんなふうに思います。私もそうでした。しかし、入居者の皆さんは、外に出て別の活動をします。そこで社会の目に触れます。
たとえば、色落ちしたりヨレヨレの服は着ない、汚れた靴ははかない、そういうことがだいじです。支援不足により、その人のイメージダウンにならないように気をつけなければいけません。
第三者が入らないと…
また、事業所の中に第三者が入ってこないと、支援者の支援が自己流になります。乱暴になったりなれ合いになります。第三者が来ないから楽だね、ついそう思ってしまいます。
事業所に来てくれるボランティアさんはいろいろなところでボランティアをしています。そのため、他の事業所と比べることがあります。これもだいじな視点です。
今、コロナ禍により、第三者の視点が激減しています。これは危険な状態だよ、と警鐘を鳴らさなければいけないと感じた会議でした。