
生活のしずらさについて
街では、トイレットペーパーをはじめとする紙製品だけでなく、米やカップ麺等も売り切れ状態になっています。昨日の夕方遅くに買い物に行った家族が「何もない」「高いヤツしか残っていない」と困っていました。
さて、私は障害のある人たちが利用する事業所を経営しています。また、事業所の利用者だけでなく、地域にお住まいの障害のある人たちからいろいろな困りごとの相談を受けます。
今回のこの物資不足を例にして障害がある人の生活のしずらさについて説明をします。
「障害」とは一般的に社会との間に存在すると定義されます。それが生きづらさです。
また障害にも、いろいろな障害があり、必要とされる支援内容も様々です。常に、支援者が一緒にいなければ生活できない人もいれば、何か困ったときにだけ手を貸せば十分に生活ができる人もいます。しかし、そのような人たちにも今回のような物資不足は大きな問題です。
今、どこに行ってもマスクが売り切れです。さらにこのマスクをめぐっていろいろなトラブルがおきています。たとえば、マスクの奪い合いのケンカや、公共機関内でマスクをしないで咳をしたことによるトラブルです。そのようなことが連日、テレビで報道されています。それを見ていると、不安になって外に出られなくなる人がいます。
ある人が「髙橋さん、どうしようマスクがあと3枚しかない」と不安になっていました。その人はバスに乗って日中活動に行きます。「マスクをしないでバスに乗ったら注意されちゃうかなぁ」と困っています。
障害があると、なかなか応用ができず、日々変動する社会に馴染むのが難しいのです。
またテレビで、米やカップ麺が無くなると報道されれば、心配になって買いに走ります。そこで売っていないと不安になり、極端に食事を制限します。また反対でそこでたくさん買うと、そんなに買いだめして、と周囲から言われてつらい思いをします。
たとえそれがデマだと報じられていても、物が無いという恐怖が先に立ちます。
以前、ある利用者が、「みんなさっ、いろいろ言うけどさっ、もう、どうすればいいんだかわからないよ」と嘆いていました。
誰もが正しいと思って、その人なりに最善の道を選んでいます。利用者の嘆きを聞いたとき、そこに気づかずに尊重はないということを知りました。