「私は能力がある」この目標を忘れない
「支援者会議」という会議があります。障がいのある利用者さんを支援する関係機関が集まって支援方針を提案したり、確認したりする会議です。またその場にはご本人も参加します。
利用者さんによっては、その場できちんと自分の考えを主張される方がいます。以前は、そういう場は少なく、支援者主導で支援が進められていたので大事な時間です。
しかし、利用者さんの中にはそういう場が苦手な方もいます。また、その場に参加している意味を見出せない方もいます。その方たちの場合、多くは支援者が日常の様子を代弁することになります。今日の会議は後者でした。
最初は、私の法人の担当職員が、グループホームの様子をお話しました。グループホームでは、ご本人の中のルールを大切にすると伝えました。その後、別の事業所の方が仕事場面の話をしました。そのお話の中で、注意して欲しいことを言ったとたん、利用者さんが耳をふさぎました。いつも注意されている聞きたくない話だったのだと思います。
ご本人が参加することは大事です。しかし、自己肯定感がさがらないような配慮をしなければいけません。
今日は金曜日です。平日はグループホームに泊まり、休日はご自宅に帰られる方がいます。そういう方はご家族が迎えに来ます。ご家族は一週間のできごとを聞きたがります。支援者もご家族と良好な関係を築くためにいっぱい話をします。でも利用者さんは怒って迎えの車にダッシュしていきます。活動中のことを親に話されるのが嫌なのです。
利用者さんは皆さん成人されています。支援者だって、仕事先でのことを親に報告されるのは嫌なはずです。でも相手に障がいがあるだけで、伝えなければいけないという判断をしてしまいます。長い長い歴史の中で当たり前とされてきた負の功績のひとつです。
こんな場面を目にすると、アドラー心理学を基本とする子育てにおける親の育成プログラム、パセージの心理面の目標を思い出します。
1)私は能力がある
2)人々は私の仲間だ
大事な目標です。