一緒に生きる
「覚悟を決める」、私にもそんなできごとがあります。ある一人の利用者を、私が経営する社会福祉法人のグループホームの入居を決めたときです。彼と最後まで付き合う、私に最後まで付き合ってくれ、そう思うときがありました。
私は、障がいのある人が利用する社会福祉法人を経営しています。理事長になって15年が過ぎました。理事長になる前は現場の支援者でした。私は、今の事業所が社会福祉法人になる前の無認可時代に入職をしました。そのとき一人のダウン症の男性に会いました。それが平成元年です。
やんちゃだった20代
そのころはお互い20代前半で、遊び盛りでした。年齢は彼が一つ上で同世代です。そのせいか、趣味もほとんど一緒でした。よく一緒に遊びました。怪獣映画やプロレスに行き、その帰りに飲みに行ったりもしました。まだ、制度も不十分で決まりごとも少なく自由でした。
そのころ、彼は、お母さんとお兄さんと一緒に団地に住んでいました。しかし、それからしばらくしてお母さんが入院し、そのままお亡くなりになりました。また、そのころのお兄さんは、仕事が忙しく、彼は入所施設に入ることになりました。
入所施設とグループホーム
当時の入所施設は、日中の支援と夜の支援が一体となっていました。つまり、入所施設に入ると一日中その施設の中ですごします。その状況の中、私はその入所施設に彼を迎えに行き、自分が働く日中活動に連れて来ていました。また、夕方、自分の仕事が終わると彼を入所施設に送って行きました。ときどき、一緒に夕ご飯を食べたり銭湯に行ったりもしました。楽しい思い出です。
それからしばらくして、彼の実家の近くにグループホームができました。まだ、グループホームが貴重だったころです。彼は、何人もの希望者の中から選ばれてそこに引っ越しをすることができました。また、私が働く事業所に一人で通えるようになりました。
その後、私は社会福祉法人を作り、事業所の数が増えました。彼は、一人で通うことが難しくなり、送迎車で通うようになりました。そのころ、私の法人でもグループホームを作ることになりました。そこで私は、彼の引っ越しを提案しました。
一緒に生きる
まず、彼のお兄さんに相談をしました。お兄さんは、今後、体力や能力が低下していくことを考えたら、同じ系列のところの方が安心だし、私にお願いしたいと言ってくれました。また、本人も引っ越しを快諾をしてくれました。
彼が私の法人のグループホームに来るということは、彼と最後まで付き合う、彼も私に最後まで付き合う、そういうことを意味します。彼は、心臓に持病を持っています。担当医からは、どれくらいもつかわからないと言われています。私が彼を自分の法人のグループホームに呼んだということは、そこまでを予測して声をかけたということです。
彼はそこまで意識していないかもしれません。しかし、それぐらいの覚悟が必要だということです。それは彼の家族に対してもそういう思いを伝えなければいけません。家族ではない、しかし一緒に生きる、そういう生き方もあります。
明日で相模原の事件から5年です。一緒に生きる、という意味をあらためて意識しなければいけません。
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