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ていねいなしぐさで暮らす②/手渡しをするとき

私は、学生のころにファミリーレストランで接客のアルバイトをしていました。そこで教わったことが今の仕事に活かされています。今の仕事は、障がいのある人の支援です。人とかかわることの基本をバイト先で学びました。今日は、そこで学んだことのひとつ、手渡しについて書きます。

私がアルバイトをしていたのは、中華料理のファミリーレストランです。アルバイトなのに、店長代行をさせてもらっていました。また、社員と一緒に研修という名目で他のレストランの試食に連れて行ってもらいました。あるお店に行ったときのことです。そのときは、ディナータイムの試食でした。一緒に行ったマネージャーがお店に入るなり言いました。

「この店、落ちたね」

連れて行ってもらった私たちは、いったい何が落ちたのか考えなければいけません。そのときの答えは、席への誘導でした。

だいじにされている感の違い

入店と同時に店員がいいました。
「いっらしゃいませー、メニューのあるテーブルにどうぞ」

マネージャーが指摘した点は、メニューの渡し方でした。以前は、店員がメニューを持ってテーブルに誘導し、席に着くとメニューを手渡してくれたといいます。しかし、この日はあらかじめメニューが置かれたテーブルに自分たちで座るという誘導でした。マネージャーは、だいじにされている感がう違うと言います。また、ランチタイムとディナータイムを一緒にしてはいけないとも言いました。

そのころの私は、マネージャーに言われていることがしっくりきませんでした。しかし、自分に家族ができて、家族と一緒にレストランに行ったとき、そのことを思い出しました。お店の人にメニューを手渡してもらっているときの子どもたちの目がキラキラしていました。これがだいじされているということだということに気がつきました。

支援の現場で渡すとき

私は、障がいのある人利用する事業所を経営しています。事業所では、利用者にプリントや連絡帳を渡します。そのときのやり取りを見ているとき違和感を感じました。

支援者は「はーい、取りに来て」と言い、座ったままで利用者がプリントを取りに来るのを待っています。「早く取りに来て-」と言います。また「書いたよー」と連絡帳をポーンと投げることがあります。しかし、以前は私も同じようなことをしていました。

支援者の中には、利用者は取りに来るのがあたりまえという前提があります。また「だいじな物でしょう、早く取りに来なさい」とも言います。しかし、だいじなものなら直接、手渡しをした方がいいです。タテの関係になっています。

ゆとりがなくなると雑になる

ゆとりがなくなると雑な対応になりがちです。アルバイトのときもそうでした。お店が忙しくなるとメニューの渡し方が雑になりマネージャーに怒られました。忙しいんだからいちいち顔を見て渡していられない、店員が少ないからいけないんだ、そう思っていました。しかし、それはこっちの言い分で相手には関係のないことです。

支援の現場でも同じことが起きています。利用者に連絡帳を渡すとき、お疲れ様でした、今日もありがとうございました、そう思いながら渡したいと思っています。

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