車の教習所に通う人を応援しています
今日は、自動車教習所での話です。
私は、横浜で障がいのある人が利用する事業所を経営しています。法人の本部は、横浜市戸塚区にあります。戸塚区は市内でも一番大きな区です。その中で法人本部は、隣の市に近い場所にあります。そのため、私が区の中心部に移動するときはほとんど車です。今日も車で会議に出かけました。
応援しています
国道を走っているとき、私の前を教習車が走っていました。私は、教習所でたくさん苦労をしました。そのせいか、教習車を見るといつも応援したくなります。
そのとき、前を走る教習車が急ブレーキで止まりました。横断歩道で人が待っていました。急停車した教習車の中では、教習者が教官に怒られているのかもしれません。
じつは車が嫌い
私は、毎日、車で出勤をします。しかし、車の運転は嫌いです。仕方なく運転をしています。そのため遊びに行くときは、自分では運転をしません。車での移動は、最小限です。
また、教習所に通い始めた理由は、職場からの命令でした。しぶしぶ教習所に通っていました。私が消極的だったせいもあり、教習所ではできが悪く、毎回、教官に怒られていました。
私は有名人
私が、教習所に通っているころ、中学校時代の同級生が、教習所の送迎バスの運転手をしていました。私は、歩いて教習所まで行っていたので、その友人と会うことはほとんどありませんでした。たまたま教習所の中でその友人に会ったとき、友人が私の耳元でささやきました。
「髙橋、おまえ、(教習所で)有名だぞ」
私は、有名人でした。
特別待遇でした
最近の教習所の仕組みはわかりません。私が、教習所に通っていた30年前は、技能講習を受けると教官がハンコを押し、単位ごとに試験を受けます。普通は、A4用紙1枚分のハンコで免許が取れます。ところが私は、その用紙が1枚では終わらず2枚になりました。これは異例だそうです。
とにかくできませでした。何度教わっても、教官が言うようにはできませでした。やがって有効期限も近づき、私は、日に何回も乗車をさせてもらえるようになりました。これは、教習所の規定外です。また普通は、教習者一人に対して、担当教官は一人です。しかし私は、それでは期限内に終わらずサブ教官がつきました。これも特別待遇です。
最後の技能試験の前、担当教官が勇気づけてくれた言葉を忘れません。
「大丈夫、人一倍乗ってるんだから、自信をもって」
私は、人の倍、紙2枚分乗車していました。
「何やってんだ!」
他にも私を有名にしたできごとがあります。当時の教習車は、マニュアルでクラッチがありました。しかし、私にはそのクラッチの役割が理解できませでした。そのため、急ブレーキで、エンストばかりしていました。
あるとき、おもいきりブレーキを踏み込んでしまい、車は大きく揺れてエンストしました。そのとき教官が言いました。
「何やってんだ!」
私は、自信を持って答えました。
「ハイ、福祉の仕事をしています。」
今、教習所で苦しんでいる人たちに言いたいです。
「大丈夫、いつかは普通に乗れるようになるから」
影ながら応援しています。
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