交通誘導員にあいさつをしよう
「交通誘導員ヨレヨレ日記」という本を友達から借りて読みました。交通誘導員の厳しさは想像以上のものでした。
交通誘導員を目にしない日はありません。今、あらゆる場所に交通誘導員は立っています。私は以前、失礼なことをしてしまったことがあります。
私は、日々、車で移動をしているのでよく、片側通行や車両通行止めの交通誘導員に出会います。そのとき、交通誘導員が会釈してくれるので私も運転席から会釈します。交通誘導員に止められてイライラすることはありません。しかし、以前、通行止めで迂回させられたとき、交通誘導員に怒りをぶつけてしまいました。
そこは土地勘のない住宅街でした。通行止めの所で迂回路を教えてもらいました。しかし、迂回した道で迷いました。またその道は狭い急な下り坂でした。さらにぐるっと廻ってまたその交通誘導員のいる所に戻ってしまいました。
そのとき、交通誘導員に怒りをぶつけてしまいました。今、考えれば私は怒り感情を使って、道がわからない恥ずかしさやあせりを隠すという目的を果たそうとしたということがわかります。交通誘導員に怒っても何も解決しません。また、元に戻ってしまったのは交通誘導員のせいではなく、私の問題です。交通誘導員の問題であれば、他にも迷っている人が出ているはずです。
交通誘導員の仕事がきつい肉体労働だということは十分に理解していました。しかし、本を読むとそれ以上に大変な仕事であることがわかります。交通誘導は、ひとつ間違えると重大な事故につながる責任があります。また一度に360度を意識に入れて誘導するスキル、さらには住民、運転手、工事現場の作業員、同僚等の人間関係を上手にこなすスキルまで求められます。ハードな仕事です。
人間関係の難しさを綴ったところで印象に残ったところがあります。若い現場作業員が、73歳の著者に「看板を早く立てろ」と怒鳴ったときのことです。著者は、若い作業員に「まだ10分早いですよ、不服があるなら監督を呼んでください」と言います。このときのことを著者は警備員としてのウップンを晴らしたかっただけだった、けして若い作業員をやり込めた感情はわいてこなかったとふりかえります。(これも目的論です)
交通誘導員は孤独です。特別親しくなる同僚がいるわけではありません。現場は常に殺気立っています。この本を読んで、交通誘導員にはもっとしっかりあいさつをしようと強く思いました。
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