食べ放題の経験から「特別」について考える
昨日のnoteは、ドリンクバーでの支援について書きました。ドリンクバーでの支援は個別対応が多く、それに対して支援者の柔軟な対応が求められます。今日は、似たような状況の「食べ放題」の経験から「特別」ということについて考えます。
バブルのころだったでしょうか、食べ放題が流行りました。情報雑誌で、食べ放題のお店がたくさん紹介されたり、テレビの情報番組でも盛んに取り上げられていました。
私が食べ盛りだったころ
私は、障がいのある人が利用する社会福祉法人を経営しています。今は、理事長業務が主たる仕事です。しかし、以前は、現場の支援者でした。食べ放題が流行したのは私がまだ現場の支援者だったころです。私も若かったので食べ放題に魅力を感じていました。そこで、利用者と一緒に雑誌を見ながら、食べ放題に行く計画を立てました。
そのころの私は、この仕事を始めたばかりで、先を読むことが不十分でした。行ってみて、やってみて、そんなことが起きるんだ、と驚いていました。そんな私でも、食べ放題は危ないなぁ、たくさんの支援者が必要だと感じました。それでも食い気が優先される年頃です。ボランティアや関係者を集めて、食べ放題に行く企画を立てました。また、このときばかりは、ご家族にも協力を求めました。私は、この仕事に就いたころから「ご家族の協力は必要ない」と言い続けてきました。しかし、食い気のために信念を曲げました。
ただ食べるための会
信念を曲げるためには、題目が必要です。そこで「?周年記念・親睦会」とタイトルをつけて実施しました。場所は、横浜の山の手に近い、高台にあった老舗ホテルでした。参加人数は30名ぐらいでした。その内の10人が障がいのある利用者です。残りは、支援者、ボランティア、家族です。人数的には完璧でした。しかし、内容は、題目と大きく違った中身になってしまいました。
事業のタイトルは「親睦会」です。しかし、豪華な料理を前にして誰も親睦を深めません。今では、ホテルのバイキングというのは一般的です。当時は、まだまだ特別感がありました。企画に賛同して参加してくれたボランティアも家族もバイキングに夢中でした。さらに支援者もバイキングに夢中でした。もちろん、私も夢中でした。
バイキングに不慣れなころのできごと
家族や年配のボランティアで多かったのは、他人の分まで持って来るという行動です。料理を取って来たあと、自分のテーブルで他の人に分けていました。「おいしそうだから、持って来たの、あなたも食べてみて」こんなやり取りがおこなわれていました。
また、若い支援者やボランティアは、揚げ物しか持って来ないという行動です。日ごろ、利用者には「バランス良く食べなさい」と言っている支援者のおかずは、唐揚げだけでした。また主食は、ナポリタン、飲み物はコーラ、それだけを食べていました。
反対に、慣れない料理ばかりで戸惑った利用者の一人は、ご飯とみそ汁しか食べないということがありました。
また、利用者の中には、おかわりをする習慣がない人がいるということがわかりました。多くの利用者が、一回きりだと思ったようで、一つのお皿にご飯、おかずを盛り付け、一番上にケーキをのせていました。
さらに、一度にたくさん食べてしまうため、時間が持たないということもありました。食べ終わった人が、レストランを飛び出したり、ホテルの従業員と手をつないで離さなかったり、他のお客さんのテーブルに座ってしまったりすることがありました。
特別にしないための経験
しかし、なんでも経験を積まないとその生活になじむことはできません。やがて、旅行に行くとどこのホテルも朝食はバイキングになりました。そのとき、バタバタを経験していない支援者は、最初からバイキングを敬遠します。交渉して割増料金を払って別室にしてもらうことがありました。一人ひとりにあった配慮は必要です。しかし、無理だからと決めつけて特別な体制を作っていると常に特別な体制を組まなければいけなくなります。それは、利用者が順応できないのではなく、支援者が順応できないということです。
支援の仕事をしていると「特別」という言葉を耳にします。それは、VIP待遇という意味ではなく、支援者都合であるという点が残念なところです。