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過度の一般化の危険性(アドラー心理学実践講座 第6回目より) ③

10月03日(木)から早稲田大学のエクステンションセンター中野校で向後千春先生の「アドラー心理学実践講座」が始まりました。今回もそこで学んだことを障がいのある方への支援場面でどのように活用できるか実践報告を交えて考えていきます。

11月07日、第6回目のテーマは「感情は価値観のセンサー(2)」でした。今回の講義では主に「基本的な誤り」、「中核的な恐れ」について学びました。今日は「基本的な誤り」の内のひとつ「過度の一般化」についての事例を書きます。

障がいのある人が利用する福祉サービスの一つにグループホームがあります。障がいのある利用者、5~6人と支援者が共同生活を送っています。支援者は2~4名程度が交代で泊まります。ホームによってはもっとたくさんの支援者が交代で泊まることがあります。

グループホームは、家族的な雰囲気を理想にしています。ゆえに支援者がそれぞれの家族のルールを持ち込みます。しかし、グループホームの主体はそこで生活をする利用者です。その利用者もそれぞれの家族がありそのルールを維持しようとします。結果、たくさんのルールが絡み合い混沌とすることがあります。

女性用のグループホームでのことです。以前、些細なことが大きな問題に発展し、それが原因で支援者が退職してしまったことがあります。その原因は洗濯洗剤の香りでした。ある支援者はナチュラル派でした。ある支援者はゴージャス派でした。ナチュラル派は、無香料の石鹸タイプで利用者の服を洗濯します。ゴージャス派はローズの香りで利用者の服を洗濯します。この二人がもめました。

お互いにそれぞれの良さを主張してゆずりませんでした。ナチュラル派は、利用者の健康を考えたら無香料が良いに決まっていると主張し、ゴージャス派はローズの香りは気持ちを豊かにすると主張しました。

この二人は、食事の味付けでもお互いの家庭の味を主張してもめました。味が濃い薄いとか、ドレッシングはノンオイルとかどうとかです。私がそれぞれに話を聞くと、二人は同じことを言いました。「○○の方が利用者にとって良いに決まっている」「我が家はそれでみんな喜んでいる」。二人が、利用者のことを思っていることは理解できます。しかし残念なことは、二人の主張の中に、利用者がどんな生活をしたいのか、という視点が欠けていることです。主体はあくまでも利用者自身の生活です。

ここまで大きくなることはめったにありません。しかし、対人援助においては過度の一般化により、大切にする基準がずれることがあります。大切なことは利用者の主体性の尊重です。自分たちの意識は、知らず知らずの内に過度の一般化されているということを忘れないようにしなければいけません。

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