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「先生」って呼ばないで…肩書の話
地域の役員の集まりに参加をすると「先生」と呼ばれることがあります。「先生」と呼ばれると、気恥ずかしい思いがします。何年経っても「先生」と呼ばれるのは苦手です。今日のnoteは、肩書の話です。
「先生」と呼ばないで…
私は、障がいのある人が利用する社会福祉法人を経営しています。おかげで今は、「理事長」と呼ばれることが多くなりました。しかし、私がまだ支援者だったころは「先生」が一般的でした。私の職場もそうでした。しかし、私は「先生」と呼ばれることに抵抗を感じていました。
私が就職した事業所は、小規模作業所と呼ばれるところで、障がいのある人が10人、支援者が2人の小さな事業所でした。私は、そこで利用者と一緒に何かを作り上げる、そのためのお手伝いをすることが仕事だと思っていました。何かを教える立場ではありません。また、そこでは私が一番年下で一番経験の浅い身でした。その私が「先生」と呼ばれるのははおかしいと感じました。そこで私は、初めて出勤した日の自己紹介で「私は、先生ではありません。先生と呼ばないでください」と宣言をしました。
「じゃ、社長だよ」
勤務初日のことです。私は「私のことは、髙橋くんと呼んでください」とお願いをしました。しかし、ある利用者が「じゃ、社長だよ」と言い出し、そのまま「社長」と呼ばれるようになりました。そのことは、私の法人のnoteに書きました。よろしければお読みください。
親戚の披露宴でも先生でした
そのころは、どこの福祉事業所でも支援者のことを「先生」と呼んでいました。そのため、地域の人たちや取引先の業者からも「先生」と呼ばれました。他に呼びようがなかったことも事実です。また、私の両親もそう思っていました。
親戚の結婚式の披露宴に出席したときのことです。バブル絶頂期のころです。ド派手な披露宴でした。その披露宴の余興で、いとこ達がお祝いの言葉を述べる場面がありました。私もその中にいました。そのときの司会の紹介がめちゃくちゃでした。私を「こちらの先生は、大変なお子さんたちを教えているえらい先生です。」と紹介しました。きっと私の両親が親戚にそう伝えたのだと思います。
利用者はどう思っているのかなぁ…
最近は、あまり「先生」と呼ばれません。それでも地域の活動に出て行くと「先生」と呼ばれることがあります。私たちの仕事について認知度が低いということです。私たち支援者の努力不足を感じます。もっともっと地域に出て行かなければいけません。
私たちの仕事は、サービスを利用している人が街で普通に暮らすためのお手伝いです。また希望や願いが実現できるように寄り添うことです。支援者と呼ばれます。
しかし、支援者かどうかを決めるのは、利用者です。雇用主から「支援者です」と言われても、自分で「私は支援者です」と宣言しても、利用者が「支援者」と思わなければ支援者ではありません。それは、おせっかいな人かもしれません。
また、「先生」と呼ばれず「支援者」や「理事長」と呼ばれればそれでいいと言うわけではありません。サービスを使う人が私をどう思ってくれるかがだいじです。肩書に負けないようにしなくてはいけません。
6月の後半は、理事長業務ばかりが詰まっています。
連続投稿1000日まで、あと98日。