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私を育ててくれた人

25年ほど前になります。まだ私が現場に出ていた頃の話です。

毎年、春から夏にかけて、養護学校の3年生が実習に来ます。その年の実習生は、ダウン症という障がいの他にいくつもの障がいがある男子生徒でした。

彼に発語はありません。一人で歩くこともできませんでした。食事やトイレをはじめとして、日常生活動作と呼ばれる行動はすべて介助が必要でした。そのような障がいを一般的には「重度」と言います。私はその彼と、平日2週間の実習期間をほぼ一緒に過ごしていました。彼とはなんとなく気が合うような気がしました

その半年後、私は別の法人から転職の誘いを受けました。それはとても良い条件でした。迷いました。でもそのまま留まることを選びました。春からは、実習に来てくれた彼の利用が決まっていました。彼を残して転職することができませんでした。

利用開始後、彼はいろいろなプログラムに参加しました。もしかしたらやりたくない活動もあったと思います。それでも彼は、私に付き合っていろいろプログラムを体験しました。

3年前、「重度の障害者は役に立たない」そういう間違った思想を押し通した哀しい事件がありました。その思想は間違っています。

彼と私は常に一緒でした。調理当番の日は、一緒に包丁を持って野菜を切りました。私が大量の書類をコピーしなければいけない時、彼は横で一緒にコピーを手伝ってくれました。私が紙をセットして、彼の手を持ってスイッチを押しました。おかげで私は残業をしなくて済みました。

私たち支援者の仕事は利用者の支援です。サービス提供時間内は利用者と一緒に活動をしていなければいけません。利用者の中には、支援者の支援を拒む人もいます。でも彼は私の支援に対して協力的でした。私の支援をいつも受入れてくれました。私にはなくてはならないパートナーでした。もしかしたら私の一方的な思いかもしれません。

「意思の疎通ができない人は人ではない」そういった間違った主張を押し通している人がいます。それは間違いです。

意思の疎通に必要なのは文脈です。その人とのやりとりの中で意思の疎通はできるようになります。それはもしかしたら支援者だけの思い上がりかもしれません。しかし、意思の疎通ができないと思っていたら、絶対に意思の疎通はできません。できると思えばいつかできるようになります

私のパートナーだった彼は今はもういません。ほどなくして医療的なケアが必要になり、私の事業所を離れました。それからしばらくして他界してしまいました。

彼は、私を育ててくれた一人です。

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