自由ってなんだろう?(映画「幸せなラザロ」より)
幸福なラザロという映画を観ました。
20世紀後半のイタリアの小さな村が舞台です。純朴な村人ラザロと村人たちは、小作制度の廃止を隠蔽する侯爵夫人にだまされて奴隷としてあつかわれ、社会と隔絶した生活を強いられていました。ところがある事件をきっかけにして村人たちは村を離れ、外の世界で暮らすことになりました。しかし、ラザロだけは村に取り残されてしまいました。やがてラザロも村を抜け出し、都会へ出ていきます。そこでラザロが見た現実は…。
そんな映画です。
映画は貧富の差と文明の発達、また幸せとは何かという点について問いかけてきます。さらには自由というものについても考えさせられます。侯爵夫人に奴隷としてあつかわれていた時代、そこしか社会を知らない村人はその中で幸せを求めて暮らしていました。やがて、解放されて自由な文明社会に投げ出された村人たちが感じた自由とはどんなものだったのでしょうか。
障がいのある方たちの暮らす場所として、入所施設やグループホームがあります。ご家族と一緒に暮らせなくなったり、一人で生活することが難しい人たちが暮らす場所です。
世間では、入所施設よりグループホームの方が自由で良い場所だと言われることがあります。しかし、本当にグループホームは自由なのでしょうか。
入所施設より門限や消灯はゆるやかかもしれません。決まりや制約も少ないです。だからといって、夜中までテレビを観ることはできません。食事も好きな物を買って好きな時に食べられるわけではありません。買物も自由にできません。でもテレビも美味しそうな食べ物も、欲しい物もすぐ手の届きそうなところにあります。だから余計に辛くなることがあります。それゆえ、かえってトラブルになる方もいらっしゃいます。
情報があふれ、選択肢がたくさんあるというのは幸せそうに思えます。でも上手に選ぶことができなかったり、決断をすることが苦手な人にとっては辛らいことになります。
意思決定支援とは、それを予測して支援していくことなのかもしれません。